写真でつづる流山の道 2011年10月

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

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流山の坂(7)

「流山の坂」最終回。「流山の道」の地図に記載されていない坂,今では消滅してしまっている坂,現地が特定できない坂を含めてまとめました。今後判明し次第お知らせします。

円徳寺の坂
円徳寺にはお堂はない。右手の建物は「柴崎自治会集会所」,中央の祠は「江戸川八十八ヶ所 第十六番」の札所となっている。
墓地の背後が「円徳寺坂」。見上げるとすぐの所に幹線道路の八木道が通っている。曲がり具合がなんともいえず良い。しかし下った先には大きな道路ができているので,今後交通量が増えるかもしれない。

2011_1029_094906-DSC04515円徳寺 2011_1029_094807-DSC04513円徳寺坂
2011_1029_095146-DSC04522円徳寺坂 2011_1029_095236-DSC04524円徳寺坂

五斗蒔坂(ゴトマキノサガ)
左手の小道を上がった先は高低差10m近くはありそうな崖になっている。下の畑では種を蒔く時,畝を作らないでばらまいてしまうので,種を五斗も使う,というところから名前が付いたそうだ。

2011_1029_093358-DSC04506五斗蒔坂 2011_1029_093752-DSC04508五斗蒔坂

寺の坂
「金乗院」の北側を巻く坂道。信号の左手奥に屋根だけ見えるのが金乗院。上から眺めるとかなりの急坂だとわかる。金乗院の門前から下るこの坂は,交通量も多いが歩いて気持ちいい坂だ。

2011_1029_085657-DSC04482寺の坂 2011_1029_085819-DSC04484寺の坂
2011_1029_085956-DSC04487寺の坂 2011_1029_090129-DSC04489寺の坂

赤坂
「報告書」では『野々下4丁目と5丁目の境にあった建設省の官舎から四季野(現・野々下4丁目)の方へ下りる坂』と記載されているが,方向がいまいちわからない。四季野公園に向かう道は,今では階段道になっている。坂らしい坂といえばこの風景なのだが,特定できないでいる。ご存知の方,場所を教えてください。

2011_1029_083822-DSC04474赤坂? 2011_1029_084029-DSC04476赤坂?

2011_1029_084514-DSC04478四季野公園 2011_1029_084538-DSC04479四季野公園


消滅したと思われる坂道は次の2か所。ご覧の通りの風景だ。もう一つ「半塚坂」というのが大畔の天満宮の裏手にあるというのだが,訪れてみると会社の敷地で作業場が建っている。写真には撮らなかった。
尻振り坂」                               「義左衛門の坂

「屁振坂」とも言う                            ギゼエモンのサガ[ギゼエモドンの表記もある]
思井の熊野神社へ上る道                       古間木の生涯学習センター裏手

2011_0923_092253-DSC04141尻振り 2011_0923_090135-DSC04131ギゼエモン

これで流山市内にある坂道全部で27か所の内,現存するもの23か所,消滅したと思えるもの3か所,未確認1か所を紹介しました。「調査研究報告書 流山の道」の地図に記載されているものを実踏したことになります。まだ記録されていない,狭い地域で名前が付けられている坂道がきっとあるでしょう。今後も調べていきます。


番外だが,東京都目黒区で見つけた坂。坂そのものではなく,このような標柱[案内表示]があるといいなと思う。私の希望では流山市内で12か所ほどは設置するといいなと思っている。地元を知ることになり,観光にも役立つだろう。

谷畑坂

2011_1012_152615-DSC04245谷畑

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  1. 2011/10/30(日) 09:34:00|
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流山の坂(6)

「流山市立博物館調査研究報告書12流山の道」に記載されている坂道は今回でほぼ網羅することになります。〝廃道〟になっていたり,現地が確認できない数か所は次回に紹介します。



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七左衛門(しちざえもん)の坂」
名都借「清瀧院」南側を回る坂道。車の通行が多くて歩くのは危険。歩道スペースがないので急ぎ足で歩かなければならない。

2011_0922_140432-DSC04089七衛門 2011_0922_140538-DSC04090七衛門
2011_0922_140830-DSC04091七衛門 2011_0922_140847-DSC04092七衛門


お宮の坂2011_0922_143215-DSC04103お宮
名都借の「香取神社」(100か所めぐりNo.94)西側にある傾斜の緩い坂道。













大木戸の坂
向小金2丁目にある「香取神社」(100か所めぐりNo.100)から西に延びる道を進むと,前ヶ崎に入ってすぐにある,右に下る形の坂道。下りきると常磐線の線路が見える。電車がなかったころは水戸街道につながっていたと思う。

2011_0922_134145-DSC04083大木戸 2011_0922_134017-DSC04082大木戸 
  1. 2011/10/28(金) 14:06:56|
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流山の坂(5)

5回目のきょうは,①「大原坂」,②「熊野坂」,③「猿子坂」の3か所を紹介します。「大原坂」の読み方は大丈夫ですか?「ダイバラサガ」(サガはサカでもいいでしょう)です。これは困りますね!知らない人にとって固有名詞は実に厄介です。




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大原坂
平和台4丁目にある「大原神社」(100か所めぐりNo.73)前の坂道です。カーブを描いて優雅な姿です。
2011_0908_080113-DSC04026大原 2011_0908_080215-DSC04027大原

2011_0908_080359-DSC04028大原 2011_0908_080931-DSC04034大原

「熊野坂」
2011_0908_082955-DSC04038熊野
平和台4丁目・西平井・思井・中が接する「中交差点」から平和台3丁目交差点まで延びる広い道路。昔は「八木道」と言っていた道の一部です。











2011_0908_083044-DSC04039熊野 2011_0908_083223-DSC04040熊野

猿子坂
名都借の旧流山東高校(現在は県立特別支援学校流山高等学園第二キャンパス)から北へつづいて柏市に入る道。ほとんどが柏市だが,下りきった場所が流山市なのでここに載せることにしました。

2011_0922_143844-DSC04104猿子 2011_0922_143917-DSC04105猿子

2011_0922_143929-DSC04106猿子 2011_0922_144045-DSC04107猿子
  1. 2011/10/27(木) 07:49:10|
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流山の坂(4)

「流山の坂」第4弾は,①「天ヶ崎の坂」,②「お墓の坂」,③「旦那の坂」。すべて長崎1丁目と2丁目にある。

①を出すには右にスクロールしてください。


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天ヶ崎の坂
坂の上は柏市豊四季になる。下りきったところは教会の入り口だ。
2011_0923_083400-DSC04119天ヶ崎 2011_0923_083454-DSC04120天ヶ崎
2011_0923_083509-DSC04121天ヶ崎 2011_0923_083542-DSC04122天ヶ崎

お墓の坂
文字通りお墓の脇を通っている坂道だ。お墓のすぐ横には小さな祠がある。はじめ歩いた時には,坂下から歩いたこともあって,この祠の方に注意が行って,お墓の存在はあまり気にしなかった。改めて歩いてみると「お墓の坂」という命名がわかる。
2011_0922_150622-DSC04111お墓 2011_0922_150751-DSC04113お墓
2010_0502_094812-DSC00938.jpg 2011_0922_150948-DSC04115.jpg


旦那の坂」※檀那とも書く。
写真は2枚しかない。他に撮りようがないからだ。すぐ近くにある「金乗院」の裏道に当たるようで,命名の理由を確かめたいと思う。
2011_0922_150257-DSC04108旦那 2011_0922_150404-DSC04109旦那
  1. 2011/10/26(水) 09:26:34|
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流山の坂(3)

今日は①「神宮寺坂」,②「金剛院坂」,③「地蔵坂」,④「大坂」を紹介します。さて,最後の「大坂」をなんと読みますか?・・・そう「オオサガ」と最初の「オ」を高く発音する(と思います)。「サカ」ではなく「サガ」でしたね。「阪」ではなく「坂」です。こまかいですねぇ。

地図のスクロールが面倒ですががんばってください。


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神宮寺坂

2011_0907_080835-DSC03978神宮寺
「茂呂神社」前の交差点を東に(流山警察署方向に)向かう大通りの南側に〝あった〟坂。写真では坂の下から上(茂呂神社方向)を見上げた位置での撮影。中央の高い木の場所が交差点。そこから手前に来て,撮影場所で右に曲がるようになっている。右手に下りると,前回紹介した「庚申前の坂」につながる。このジャリ道が名残のようだ。交差点付近は工事関係で立ち入ることはできない。将来巨大道路ができる話もあるようで,この坂も消滅するのだろう。









金剛院坂
流山消防署からまっすぐ東へ延びる旧流山街道で,「茂呂神社」手前の南側が「金剛院坂」。住宅が建っている崖下を縫っているが,名残だけをとどめている。 アスファルト舗装されているところを見ると,最近まで使われていたのだろうか。
そして下の2枚の写真は,坂の上から下(西)方向を撮影したもの。左手の草むらが昔の道のようだ。この坂は市内でも有数の急な坂だと思う。


2011_0907_075121-DSC03964金剛院 (1) 2011_0907_075121-DSC03965金剛院

2011_0907_075121-DSC03966金剛院 2011_0907_075121-DSC03967金剛院


大坂
広小路からまっすぐ東に延びる,坂道「諏訪道」(県道柏流山線)のとっかかりの位置にある。流山市役所への入り口に当たり,右にカーブを描いて急な坂道になっている。 車道を迂回するような格好になっている。坂の傾斜を表現しようとしたが難しい。察してください。
この坂道に名前が付いていることに感動しました。この先は「加台」という台地になっているので,江戸川を渡った人が東へ進むには通らなければならなかった道でした。まさに〝大きい坂〟と呼びたくなります。


2011_0908_074133-DSC04016大坂 2011_0908_074244-DSC04017大坂

2011_0908_074349-DSC04018大坂 2011_0908_074518-DSC04019大坂


地蔵坂
2011_0908_090331-DSC04050地蔵
上の「大坂」をまっすぐ進むと,2本の丁字路がクランクになっている場所がある。その北東側の住宅地の間を抜ける道がこれ。お地蔵さんを探したが見当たらなかった。 短い道であることもあって,撮影アングルはこれ1枚になった。












  1. 2011/10/25(火) 10:35:49|
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流山の坂(2)

きょうは①「ハイコシ」・②「浄栄寺の坂」・③「三郷の坂」・④「庚申前の坂(庚申坂)」の4つを紹介します。



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ハイコシ
「ハイコシ」とは「這越」から来ているようです。今では地面はかさ上げされていますが,昔は田んぼの地面から今上落川の土手へ上るのが大変だったようです。“這って越えるほどの坂”だったようです。今でいえば,江戸川の土手にまっすぐ上る時の傾斜の感覚だったのかもしれません。


2011_0906_074016-DSC03927ハイコシ 2011_0906_074200-DSC03928ハイコシ

2011_0906_074300-DSC03929ハイコシ 2011_0906_074817-DSC03933ハイコシ


浄栄寺の坂
常磐自動車道の流山インターにある物流センター「ロジポート流山」の東に「浄栄寺」がある・・・と地図上には載っている。しかし行ってみると観音堂と他に2つの小さなお堂と墓地があるだけで,「浄栄寺」の表示は見つけられなかった。そこに通じている道の写真を載せたが,西側は廃道となっている。


2011_0906_081033-DSC03935浄栄寺 2011_0906_081543-DSC03940浄栄寺


三郷の坂
読み方は「サンキョウのサガ」です。埼玉県三郷市は「ミサト」です。紛らわしい!「サンキョウ」と読む人はまずいないでしょう。・・・でもそう読むんだそうです。別名「谷津坂(ヤツノサガ)」と言うそうです。
桐ケ谷の西栄寺(100か所めぐりNo.37)の北側を巻く道がここ。下りきったところは「おおたかの森スポーツフィールド」,左[北]へ進むと「流山市コミュニティープラザ」がある。リクレイションの集合施設だ。また,おおたかの森高校(旧流山中央高校)も目の前だ。


2011_0906_082911-DSC03941三郷の坂 2011_0906_082958-DSC03942三郷の坂

2011_0906_083028-DSC03943三郷の坂 2011_0906_083100-DSC03944三郷の坂


庚申前の坂(庚申坂)
「庚申坂(コウジンサガ)」とも言う。茂呂神社(100か所めぐりN0.41)の東を,車道からはずれた細い道を100mほど進んだ左側に入り口がある。「かやのき保育園」が目印。字は大畔(オオグロ)である。流山警察署の北に位置している。庚申様を探したが近くには見つからなかった。


2011_0907_081326-DSC03979庚申前 2011_0907_081428-DSC03980庚申前




  1. 2011/10/23(日) 14:26:10|
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流山の坂(1)

流山の坂」を7回のシリーズで紹介します。
まずおたずねします:『‘坂’をなんと読みますか?』・・・『‘サカ’に決まっているだろう!』とおしかりをいただくでしょうね。実は流山では(昔は)‘サガ’と読んでいたそうです。私も最近まで知りませんでした,「流山市立博物館調査研究報告書12 流山の道」を読むまでは。
ということで,これから登場する‘坂’は‘さが’と読んでください。
第1回目は,マーク①「オランダ様の坂オランダ坂)」,②「ラクダ坂」,③「馬坂」の3つです。以後北から南へと進みます。
地図画面をスクロールしてください


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オランダ様の坂(オランダ坂)」:流山街道美原三丁目,「流山100か所めぐり(19)  オランダ様」前。
                                         ※「流山100か所めぐり」は後日すべてご紹介します。

2011_0622_100703-DSC03490オランダ坂 2011_0609_102228-DSC03271オランダ坂
左手に「オランダさま」と書かれた標柱が見えますね。この祠がそれです。流山街道沿いの北方向を撮影したものです。右手の流山街道が「オランダ坂」なのですが,坂には見えませんよね。
でも右の写真を見ると,ビミョウに傾斜が付いているのがわかりますね。これが〝坂〟です。


2011_0609_102525-DSC03275オランダ坂 2011_0622_100150-DSC03486.jpg
南方向を撮影したものです。前方の黒い車が坂の上にあるのがわかりますね。右から2本目の電柱の下が祠です。
右の写真は北向きに見たところです。車がある位置の先がビミョウに下がっているのがわかりますね。左から2本の電柱の間に祠があります。


ラクダ坂」:流山街道の富士見台。

2011_0110_133424-DSC02169ラクダ坂 2011_0110_133710-DSC02171ラクダ坂
流山街道では花輪城址前の坂に次いで〝坂らしい坂〟。そして「ラクダ坂」と聞くと,いかにもラクダの背に見えるところがいい。左の写真は,南方向を手前の高い位置から窪んでまた上がっている様子を撮影した。前方の高い位置からのアップダウンをラクダに見立てたようだ。
右の写真は,北方向を撮影。ビルの角が富士見台の交差点。左の写真とは背中合わせの位置となる。


2011_0110_133823-DSC02174ラクダ坂 2011_0115_143125-DSC02194.jpg
左の写真は坂の上から北方向を撮ったもの。右の写真は南方向を撮ったもの。・・・ウ~ン,いまいちわかりにくい,残念!〝山〟の字になぞらえれば,富士見台交差点(信号が見える位置)が真ん中で,南北に高くなっている,とご理解願います。
「博物館報告書」では富士見台交差点の南だけを表しているが,私は クロネコ宅急便の集配所とラーメン店「麺'sクラブ」それぞれのカーブ地点を結ぶ坂全体を「ラクダ坂」だと思いたい。



馬坂」:南。流山街道と守谷街道が合流する「南丁字路」の信号の100m北を西に下る坂。
DSC03854馬坂 DSC03852馬坂
左は馬坂が流山街道と接する地点の入り口。下りていくとカーブしていて,右の写真は中ほどから下を見たところ。

DSC03853馬坂 DSC03849馬坂
左は中ほどから上を見たところ。右は下り終わった地点。周囲に茂る木々は〝斜面樹林〟と言われる,大昔の河岸段丘らしい。
馬にとっては辛い坂道だったのだろうか,比較的傾斜のきつい坂だ。


  1. 2011/10/22(土) 10:17:21|
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流山街道;旧道をたどる

前回紹介した「見世蔵」の前の道は,本来の「流山街道」だ。起点はわからないが,今日は流山広小路から旧道の流山街道をたどてみたい。(いずれ古道としての流山街道を調べたい)

流鉄流山駅を降りてまっすぐ西へ進むと,マンションにぶつかるようにT字路になる。そこを左へ行くと「見世蔵」だ。右[北]へ進むと100mほどで「流山広小路」に出る。三叉路になっている。右[東]へ曲がると市役所前の坂になる。流山街道は左方向[北]へ進む。

900mほど行くと,正面に東葛病院が見えてくる地点で,細い道が右ななめに下りているのが見える。そこを入る。車が来ないのを見計らって進む。消防署の裏手になるのだが,そう言われてもわからない。地図で確認する。

現在の流山街道は,McDonald'sと東葛病院を過ぎてまっすぐ北に進むが,古道としての流山街道は東方向へ進む。

「流山消防署」の信号を,東葛病院を左手に見て渡る。広い上り坂を進むと,「茂呂神社」の大きな交差点に出る。本来の道はこの広い道路を含めてクネクネと曲がっているが,現在は家が建っている。

「茂呂神社」を過ぎてすぐ左[北]に折れる。浄水場への道に入ってすぐ右手に曲がる。これが古道の流山街道なのだ。やや高い位置から右手[南]に流山警察署が見える。

細い道を右に曲がり加減に進むと「流山自動車学校」前の広い道路に出る。警察署前でクネクネ北側に曲がっているが,ここで現在と同じ道に出る。

直進して2つ目の交差点が「旧日光街道」との交差点だ。

なおも直進して東武野田線の踏切を渡ってまっすぐ進む。すると「美田団地入り口」バス停の先で道が途切れて突き当たりになる。ちょっと迂回してその延長線の道に出る。

八木北小学校をかすめて進むと,自動車道路に出る。ここが守谷街道だ。ここで古道の流山街道は終わりになる。

「流山市立博物館調査研究報告書:流山の道」に詳細な地図があるので是非それを見ていただきたい。現在の「流山街道」は松戸⇔流山⇔野田の流通道路になっているが,昔は江戸⇔布施⇔成田を結ぶ信仰の道だったとも言える。
 

2010_0718_082429-DSC01405広小路 2010_0828_091902-DSC01826広小路
「流山広小路」;右へ行くと市役所方面。左手まっすぐ北に進む。

2011_0907_073727-DSC03956.jpg 2011_0907_073752-DSC03957.jpg
車が入ろうとしている道,右の写真の道が「古道の流山街道」。正面は東葛病院。

2011_0907_073822-DSC03958.jpg 2011_0907_073905-DSC03959.jpg
道の脇を見ると道路が高い。振り返ると坂がわかる。

2011_0907_074108-DSC03960.jpg 2011_0907_082033-DSC03981.jpg
信号の向こうへまっすぐ進む。浄水場裏手に「古道」が残る。

2011_0907_082322-DSC03983.jpg 2011_0907_082627-DSC03984.jpg
昔と変わらない雰囲気だ。右の写真では,正面を左右に通っているのが「古道流山街道」。

2011_0907_082702-DSC03985.jpg 2011_0907_082722-DSC03986.jpg
ちょっと周囲を見ると,こういう風景。都会の人は知らない風景かもしれない。

2011_0907_082823-DSC03987.jpg 2011_0907_082853-DSC03988.jpg
「古道流山街道」はつづく・・・・・・

2011_0907_082936-DSC03989.jpg 2011_0907_083238-DSC03991.jpg
車の音が大きくなって流山自動車学校前に出る。それまでの静けさを吹き飛ばす騒音。

2011_0907_084523-DSC03998.jpg 2011_0907_084759-DSC04001.jpg
東武野田線踏切に差し掛かる。

2011_0907_084309-DSC03997.jpg DSC00341.jpg 
上の写真の,左手の木の下には石仏,中央の電信柱の下には祠がある。 村への入り口なのだ。

2011_0907_085506-DSC04002.jpg 2011_0907_085737-DSC04003.jpg
丁字路を迂回すると,美田の住宅地に入る。

2011_0907_085742-DSC04004.jpg 2011_0907_090402-DSC04005.jpg
これが「古道」かと思うと感慨ひとしおだ。 いったん手前の道に出て・・・

2011_0907_090511-DSC04006.jpg 
守谷街道に合流する。この地点が「古道流山街道」の終点。












DSC00131.jpg 




現在の「流山街道」
車がスピードを上げて疾走する。排気ガスと騒音が歩行者に襲いかかる。歩行者は道端のドブ板の上を歩く。
物流はじめ人間の移動にはなくてはならない道路だが,歩行者を排除している。“ちょっとそこまで”行くのに車の方が安全かもしれない。
東深井付近





DSC00524.jpg DSC00552.jpg
下花輪付近                          中野久木付近

  1. 2011/10/21(金) 14:27:47|
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ひと休み・見世蔵

今日は「見世蔵」を見せましょう。見せるくらいなら簡単。(〇〇ギャグ?)
流鉄の流山駅を出てまっすぐ,交通量の多い流山街道を突っ切って,正面がマンションになる突き当たりを左へ150mほど行くと,このはな幼稚園,流山福祉会館,と並んで道を挟んでその隣にある。そそっかしい人は見過ごすかもしれない。中里保子さん製作の万華鏡と飯田信義さん製作の切り絵の展示を見るために訪ねてみた。今年2011(平成23)年『国登録有形文化財(建造物)』に登録され,正面に解説版が設置されていた。1889(明治22)年建築とのこと,重厚な柱や梁が120年以上の歴史を語っている。少しだが写真を見てください。そして訪ねてみてください。


2011_1019_101135-DSC04336.jpg
室内の様子。万華鏡と切り絵が展示されている。その精巧さの中に製作者の集中力と並々ならぬ意気込みが伝わってきて,スバラシイの一言だ。とても真似できない。ここまでできるのか!といった驚嘆あるのみだ。
蔵の造作も重厚で,安心できる空間だと感じた。
「登録有形文化財」に指定されると,維持・管理が何かと大変らしいが,一市民として何かお手伝いができればと考えている。








2011_1019_101328-DSC04337.jpg 2011_1019_101337-DSC04338.jpg

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寺田園旧店舗 国登録有形文化財十二 - 〇一五四号
 寺田園が所在する江戸川沿いの流山本町大通りは、江戸時代から明治時代にかけて、米などの物資が集荷された江戸川の水運業や、みりん醸造業などで栄えた。
 寺田家は流山村の草分けといわれる六軒百姓の一つで、明治三十年代の町並みには「寺田茶乾物屋」とあり、昭和三十八年に移転するまで店舗として利用されていた。
 旧店舗は大通りに西面して建ち、通りに唯一残る黒漆喰仕上げの土蔵造りで、本体は間口四間奥行二間、二階建て寄棟造り平入瓦葺きである。
 正面側に奥行七尺の前庇、背面に奥行一間半の後庇を設け、さらに一間の後設下屋が付く。
 建築年代は「諸事支払簿」に「見世蔵間口四間奥行五間二尺 明治二十二年九月立前」と記録されている。
  平成二十三年 流山市教育委員会


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  1. 2011/10/19(水) 15:58:47|
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江戸川の渡し跡

明治から昭和にかけて,埼玉県と千葉県を結ぶ渡し船があったそうだ。流山市に渡し跡は8か所あり,以下に紹介する。江戸川の土手を歩きながらそれぞれの場所に立つと,交通手段としての船に思いが及ぶ。自転車で走ると,つい見過ごしてしまうので,一つずつ歩いてみたいものだ。流山市発行の「流山市観光マップ」にはそれぞれの正確な位置が記されているのでとても役に立つ。以下の写真には,それぞれの標柱に書かれている解説を書き出してある。

2011_0518_093724-DSC02815渡し跡 2011_0518_093751-DSC02816渡し跡
】『深井新田の渡し跡』
『深井新田は江戸時代の江戸川開さくで分断された地域で、対岸に耕作地を持つ人も多く、認可は明治十年六月だが、江戸時代からの古い渡しである。』

 流山市西北端,利根運河が江戸川に流入する地点から500mほど北にある。「海から35km」地点の少し北になる。水田を見渡すのどかな風景が広がる。

2011_0519_090003-DSC02860 渡し跡
】『尼谷の渡し跡』
『平方村新田と平方新田(埼玉側)が共同で運営していた渡しで、三十人ほどが乗れる大型の舟を使用し、時には牛や馬、自転車も渡したと伝えられている。』
 パノラマ写真にしてみた。太古の昔は遠景の斜面樹林あたりが実質の江戸川岸だったのだろう。当時は渡し場がこんなに高い位置にあったはずはなく,もっと江戸川と水田との水が目の高さにあったと想像される。


2011_0519_090910-DSC02863渡し跡 2011_0519_090948-DSC02864渡し跡
】『六兵衛の渡し跡』
『別名「上新宿の渡し」と言うが、六兵衛なる人が運営し「六兵衛の渡し」が一般的。作業場(対岸の耕作地や流作場)への渡しとして昭和二十年頃まで存続。』
“流作場(ながれさくば/りゅうさくば)”とは“水害を受けやすい田”のこと。 
「海から32km」地点に当たり,新川第二水門と排水機場がある。今上落(いまがみおとし)川と田んぼへ通じる用水路を管理する重要な位置になっている。振り向いて江戸川を眺めると,当時の人々の行き来が見えてくる・・・ようだ。


2011_0519_092005-DSC02867渡し跡
】『半割(南)の渡し跡』
『三、四人が共同で運営、昭和二十年代後半まで存続した。埼玉側では農閑期に牛や馬を千葉側に預けることが多く、「馬船」と呼ばれる大型の舟を使用した。』
 「海から31.5km」地点に当たる。常磐自動車道と流山有料道路(500mか600mの区間で100円取られるのだ!)を結ぶ流山インターチェンジがすぐそこだ。









2011_0519_093158-DSC02871渡し跡 2011_0519_093243-DSC02873渡し跡
】『羽口の渡し跡』
『流山に屯集した新選組を制圧するため、新政府軍が来流し、砲列を敷いた。田中藩が統治した加村の公営の渡し場だが、近くに賭博場があったとも言われる。』
 遠景にはクリーンセンターが見える。そしてサイクリング道路が延びている。


2011_0519_095000-DSC02887渡し跡 2011_0519_095013-DSC02888渡し跡
】『矢河原(やっから)の渡し跡』
『「加村の渡し」とも言い昭和三十五年頃まで存続した。幕末に再起を図るため流山で屯集した新選組の局長・近藤勇は新政府軍の包囲に単身出頭、この渡しで流山を後にした。』
 矢河原でヤッカラと読む。群馬県の八ッ場はヤンバとはとても読めないが,日本語の自由奔放さを認めよう。右の写真のここに今年(2011年)桜の木が植えられ,来年は花見ができるのではないか。流山市中心部に最も近く位置する所だ。ここから南へ200mほどの所に,今上落川が江戸川に流入する地点がある。昔の流山の雰囲気が伝わってくる。


2011_0519_100530-DSC02895渡し跡 2011_0519_100541-DSC02896渡し跡
】『丹後の渡し跡』
『「羽口の渡し」と並ぶ公営に渡しで小金道の一部として三艘の舟が用いられていた。新選組が来流時に利用したとも言われる。昭和十年の流山橋架橋で廃止された。』
 眼下の道路は流山橋へ向かう車で混雑する所だ。背後の江戸川にはには(以前紹介した)古い橋脚が残されている。


2011_0519_101840-DSC02902渡し跡
】『幸房の渡し跡』
『「岩野木の渡し」、「七右衛門新田の渡し」「幸房の渡し」と様々な名称がある。江戸川の渡しは千葉側と埼玉側の地名を交互につけたが、自分側の地名で呼ぶことが多い。』

※土地の古老は「幸房」を「コウボ」と呼んでいたそうだ。
「流山市立博物館調査研究報告書10 河川と流山」(p.110)




 江戸川の堤防と河川敷が整備されてきれいなっている。「海から26.25km」地点近く。【1】『深井新田の渡し跡』から9kmほどの間に8か所の渡し場があったことになる。現在では(常磐高速道は除いて)玉葉橋と流山橋との間の,8kmの間に2本の橋があるだけだ。ということは,昔の方が人々の通行の便利さは良かったのかもしれない。さすがに1kmおきに橋を架けるのは大変だ。




  1. 2011/10/18(火) 15:03:42|
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