写真でつづる流山の道 2011年12月

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

(14)水辺稲荷

「流山新100か所めぐり」第14番「水辺稲荷

東深井小学校の南にある稲荷神社。キツネの像は見当たらない。林の中の,なかなか雰囲気のあるオイナリさんだ。すぐ前には住宅が建ち並んでいる。

2010_0626_080537-DSC01265.jpg 2010_0626_080819-DSC01268.jpg

2010_0615_075943-DSC01175.jpg 2011_1224_090845-DSC05198.jpg

お堂の中を覗くと祠があった。
2010_0626_080630-DSC01266.jpg 2011_1224_090800-DSC05197.jpg

2011_1224_090913-DSC05199.jpg 2011_1224_091117-DSC05200.jpg

スポンサーサイト
  1. 2011/12/30(金) 14:14:06|
  2. ブログ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

(13)東深井古墳群

「流山新100か所めぐり」第13番「東深井古墳群

“流山観光スポットTOP30”では「No.10:東深井地区公園」として選定されています。別名「東深井古墳の森


DSC03869.jpg 2010_0710_153113-DSC01370.jpg

2010_0710_153350-DSC01373.jpg 2010_0710_153546-DSC01375.jpg
右の写真にある“解説文”は,17号墳前に設置されているものですが,塗装の剥落が多く判読できないところがあったため,市立博物館に相談したところ,とても親切に原版との照合をしていただきました。ありがとうございました。次に示す“解説文”の転写は博物館のご努力に報いるためにも掲載させていただきます。もし文章に間違いがあったら,それは当方の責任です。

東深井古墳群について
 東深井古墳群が作られたのは、古墳と埴輪の研究により六世紀から七世紀の初め頃と考えられています。古墳時代の人々は、一族の首長や権力のあった人が死ぬと、多くの時間と労力を費して古墳を築きました。古墳は、死者への敬意と悲しみを表現した重要な遺跡です。
 古墳には、粘土で人・動物・家・武器などを形どった焼物がみられ、これを埴輪といいます。埴輪は、死者の供物として、また古墳を飾るために墳丘上や墳丘を囲むように立てられました。東深井古墳群では、発掘を行ったほとんどの古墳から見つかっています。なかでも七号墳からは珍しい魚とニワトリの埴輪が、また九号墳からは人物の埴輪が発見されました。このような埴輪の他に、円筒形の埴輪もあります。円筒形の埴輪は、墳丘の廻りに数多く立てられ、古墳が特別の場所であることを表したと考えられています。
 このような埋蔵文化財<古墳をはじめ貝塚や集落跡で使われた様々な道具など>は、私たちに過去のいろいろなことを語りかけてくれます。私たちの貴重な財産を大切に保存・活用し、後世の人々に継承していきましょう。
                                     流山市  流山市教育委員会』


「公園」の正面入り口(左)と裏口(右)
DSC00025.jpg DSC03866入り口

「公園」の外になりますが,焼却場入り口付近に湧水と思われる場所があります。30年以上前にはここより南に1kmほどの長さで小さな川があったと記憶しています。そしてここから北へ向かって「諏訪下川」という川が流れています。柏市との境を流れて運河に注いでいます。古墳時代はこの川が地域の〝はずれ〟に相当していたのでしょうか。
DSC03884.jpg 2011_0813_082530-DSC03885.jpg

公園内で確認できる古墳のうち7号墳から18号墳まで12基の古墳を紹介します。1号墳から6号墳までは,隣接する焼却場の敷地内にあるため確認できていません。調査後埋設してあるかもしれません。また19号墳は表示板が見つからず確認できていませんが,公園の遊歩道の外にあるようです。少し退屈かもしれませんが,記録に残す意味でおつきあいください。

7号墳                                    8号墳
2011_0813_075951-DSC038767号 DSC038788号

9号墳(前方後円墳とのことですが素人にはわかりません)   10号墳
2011_0813_080213-DSC038779号 2010_0710_153448-DSC0137410号

11号墳                                   12号墳
2011_1114_083758-DSC0473011号 DSC0386512号

13号墳                                   14号墳
DSC0387213号 2011_0813_075642-DSC0387314号

15号墳                                   16号墳
2010_0710_153221-DSC0137115号 DSC0387116号

17号墳                                   18号墳
2011_0813_075721-DSC0387417号 2011_0813_081256-DSC0388018号

  1. 2011/12/28(水) 08:49:37|
  2. ブログ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

(12)東武野田線・2

「流山新100か所めぐり」第12番(つづき)「東武鉄道野田線

昨日につづいて第2弾。きょうは運河駅にスポットを当ててみました。というのも,待望の東口ができるそうで,東西両側から駅が利用できるようになるとのことです。このような工事が行われると,できてしまうと以前の風景を忘れてしまうという〝現象〟が発生します。『アレ?ここ前はどうだったっけ?』を残しておいてもよいのではないかとの思いから写真に収めようと考えました。20年後,このブログを開いて見てください。

2011_1007_081735-DSC04182.jpg
事業公開板には『駅舎・自由通路/地上2階(高さ17.62メートル)/平成25年3月31日工事完了』と書かれている。今後ときどき工事の進み具合を見てみよう。そして完成したらまた報告します。乞うご期待!
しかし一抹の不安が・・・豊四季駅のような‘自由通路’だけで改札口が従来通り西口に1か所だとしたら,残念の極みだ。江戸川台駅のような‘橋上駅舎’をぜひとも望みたい!!・・・初石駅もつづけ!!








駅西側の駐輪場。2011.12.24現在,工事関係車両や資材置き場となっていて立ち入りできない。
2011_1007_081931-DSC04183.jpg 2011_1007_082018-DSC04184.jpg

駅舎がどう変わるか楽しみだ。
2011_1007_082118-DSC04185.jpg 2011_1007_082224-DSC04186.jpg

2011_1007_082254-DSC04187.jpg 2011_1007_082327-DSC04188.jpg

北側から駅構内全景を見たところ。
2011_1007_082438-DSC04189.jpg 2011_1007_082810-DSC04191.jpg

南側から駅構内全景を見たところ。
2011_1007_083606-DSC04199.jpg 2011_1007_083739-DSC04203.jpg

駅舎の風景。
2011_1007_084046-DSC04206.jpg 2011_1007_084215-DSC04208.jpg

2011_1007_084221-DSC04209.jpg 2011_1007_084352-DSC04211.jpg

2011_1007_084357-DSC04212.jpg 2011_1007_084518-DSC04214.jpg

左:新しく整備される‘東口駅前広場(1400㎡)’。正面が駅ホーム。
右:ロクドミチに接続する部分。幅12mに拡幅工事が行われている。

2011_1224_095634-DSC05218.jpg 2011_1224_095903-DSC05221.jpg

  1. 2011/12/27(火) 08:32:21|
  2. ブログ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

(12)東武鉄道野田線・1

「流山新100か所めぐり」第12番「東武野田線

2回に分けて紹介します。
私が流山で暮らし始めた昭和49年ごろ,東京から来た友人が『森林鉄道だね』と言ったことが印象に残っています。そのとおり車窓からは木ばかり見えました。その木々を通して沈みかける夕陽が大きく見えたものです。今では建物が立ち,林は切り払われて造成工事が進んでいます。“都心から一番近い森のまち”と紹介されていますが,野田線の車窓からはそれほど森を感じなくなりました。ともあれ,なにかにつけ出かける際に利用するのが東武鉄道野田線です。歴史的経緯はさておき,その雰囲気を写真で紹介します。
「100か所めぐり」の解説表示は,代表して運河駅に付けられています。
 

解説板は,運河駅に向かって左手10mほどにある。        運河駅(西口)の風景。来年東口ができる。
2010_0727_095058-DSC01525A.jpg 2011_0625_083815-DSC03616A.jpg

外から改札口を見たところ。                        運河駅から大宮方面は単線。
2010_0727_095221-DSC01528A.jpg DSC00086A.jpg

運河駅改札口。朝夕は理科大生でにぎわう。          地下道を通ってホームへ。全列車各駅停車。
2011_1007_084150-DSC04207A.jpg 2011_1007_084317-DSC04210A.jpg

家の2階くらいの高さを通る箇所もある。             線路際の細道はなかなかスリルがあってイイ。
2010_0831_092025-DSC01881A.jpg DSC00340A.jpg
 

おおたかの森駅に入るところ。上部がつくばエクスプレス線。ちょっと〝撮り鉄〟の気分。
2011_0526_155256-DSC03030A.jpg 2011_0526_155304-DSC03032A.jpg

初石駅に入るところ。初石駅では東口の新設が予定されている。江戸川台駅に入るところ。
2011_0526_155526-DSC03035A.jpg 2011_0526_155746-DSC03037A.jpg

2011_0721_140909-DSC03709A.jpg
江戸川台駅で見つけた『野田市~柏間開業100周年』の掲示。さりげなく出されているので,もっと大々的に宣伝してもらいたかった。


2011_0721_131715-DSC03708A.jpg 


江戸川台駅西口                           江戸川台駅東口
2010_0527_122215-DSC01070江戸川台 2011_0424_144125-DSC02649江戸川台
 
流山おおたかの森駅北口                     流山おおたかの森駅西口
2011_0429_131010-DSC02668おおたか 2011_0924_092822-DSC04166おおたか

流山おおたかの森駅東口                     流山おおたかの森駅南口
2011_0924_093232-DSC04169おおたか 2011_0924_094004-DSC04174おおたか

2011_0325_130620-DSC02398初石
初石駅は西口のみ。近い将来東口ができる・・・といいなと期待している。














豊四季駅の所在は柏市だがここで紹介する。
豊四季駅での乗り降りには気をつけよう。改札は北口一つなので,南側に行きたい場合は‘自由通路’を渡って移動するのだ。南側に改札口はないので要注意。かく言う私の失敗談:『柏に向かう電車を豊四季で降りた。南側に行きたくて,線路をまたぐ階段があったので反対側ホームに改札口があると思って,大宮方向のホームに降り立ったが改札がない。しょうがないから戻って北口を出て踏切を渡ろうとしたら,自由通路なるものがあることがわかったのだ。立派な構造物だ。』駅南側の人が大宮方面に行きたいときは二度階段を昇降しなければならない。かわいそう。
写真左が南側,右が北口(改札口のある所)

2011_0410_145229-DSC02484豊四季 (1) 2011_0410_145229-DSC02484豊四季 (2)


DSC00801A.jpg
道と鉄道の接点は踏切だが,常磐自動車道を作ったとき,地下通路を作った。踏切を作るのと,地下道を作るのとでは,どちらが経費がかさむのだろう?地下道の方が安全なのだろう。しかし一人で通ると足早になる・・・怖い。












  1. 2011/12/26(月) 08:24:07|
  2. ブログ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

(11)稲荷神社

「流山新100か所めぐり」第11番「稲荷神社」《平方村新田》

「流山市観光マップ」では位置表示が間違っている。マップでの位置より100mほど,農道1本北寄りにある。
江戸川堤防と今上落川(いまがみおとしがわ)に挟まれて,こじんまりとたたずむお稲荷様。



2010_0611_091111-DSC01171.jpg 2011_0519_085639-DSC02859.jpg 
                                                       全景
DSC00153.jpg 2010_0611_091128-DSC01172.jpg

被写体は多くなかったのでこれだけでご容赦を。周囲の田んぼの風景や,カエルが鳴く今上落川を眺めてください。

  1. 2011/12/23(金) 14:20:21|
  2. ブログ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

(10)六社神社

「流山新100か所めぐり」第10番「六社神社

流山市のいちばん北西の隅,野田市との境にある神社。運河が江戸川に流れ込む「運河河口公園」から600m,江戸川の「深井新田の渡し跡」から300mほどの所にある。大杉神社も祀る。

2010_0531_094504-DSC01102.jpg DSC00079.jpg

2010_0531_094537-DSC01103.jpg 2011_0518_100331-DSC02832.jpg 

2011_0518_100243-DSC02831.jpg
上の2枚の写真は撮影日が異なることがわかってしまいすね。



「大杉神社」





下は庚申塔。



2011_0518_100125-DSC02828.jpg 2011_0518_100145-DSC02829.jpg


  1. 2011/12/21(水) 09:34:15|
  2. ブログ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

(9)旧日光街道

「流山新100か所めぐり」第番「旧日光街道

流山と日光街道が共存することに違和感を覚えるが,それは現代の感覚の仕業だ。きょう紹介するのは「日光東往還」,すなわち日光街道(現在の国道4号線)の東側に並行して走る道だ。現在のJR常磐線や国道6号線の南側を通る水戸街道の途中,南柏駅の南東に位置する「豊四季」で分岐して北へ向かう道だ。その道が流山市内で史跡として確認できる地点を紹介します。
地図の赤線に沿って「旧日光街道」があります。東武野田線運河駅から10分ほど。



powered by 地図Z



2011_0726_080921-DSC03750.jpg 2011_0726_080931-DSC03751.jpg
                                      支柱は無残にへし曲がっている。Who's done it?!

2010_0531_082404-DSC01096.jpg
六道神周辺の様子。右手に曲がるクランクになっている。




下の写真は,左が2011年7月,右が2008年7月にそれぞれ撮影したものだ。2008年の時にはなかった石碑が2011年では祠をふさぐように置かれている。理由はわからない。ブログに出すために写真を見比べて初めて知った。
手前に‘成田山’と彫られた道標が,ここが昔の街道だったことを伝えている。


それにしても石碑の位置が気にかかる。



2011_0726_080951-DSC03752.jpg DSC00117.jpg

突き当たりが旧日光街道のクランク部分になる(東深井の流山街道交差点から北を見る)。すぐ左手には‘浅間様’の祠と石碑が立つ。
2011_0726_080731-DSC03746.jpg 2011_0726_080711-DSC03745.jpg 

街道はここで突き当たって右へ折れる。左手には‘八坂神社’がある。
2011_0726_080821-DSC03747.jpg 2011_0726_080854-DSC03748.jpg

2011_0726_081202-DSC03757.jpg
クランク地点に3級基準点がある(赤枠)。
ここを右に折れると街道が続く。


2011_0726_081053-DSC03754.jpg

2010_0620_102003-DSC01243.jpg
国道6号線南柏2丁目にある,「旧日光街道入口」の交差点。下の写真では,左右方向が国道で,車の進行方向が旧日光街道。途中途切れながらも東武野田線の西側を北へ進み,冒頭の地点に達する。







春になったら旧日光街道(東往還)を踏破してみたい。



2010_0620_102404-DSC01245.jpg 2010_0620_102428-DSC01246.jpg

途中,西初石1丁目で常磐自動車道をまたぐ橋が「日光街道大橋」,その横に「日光橋公園」がある。これで流山と日光街道の関係がお分かりいただけたであろう。
2011_1210_144222-DSC05050.jpg 2011_1210_144315-DSC05052.jpg


  1. 2011/12/18(日) 07:20:21|
  2. ブログ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

(8)浅間様

「流山新100か所めぐり」第番「浅間様

西深井小学校の南西,前回の「安蒜家板石塔婆」から数分の所にある‘富士塚’。流山一丁目にある「浅間神社(65)」と,運河駅近くにある「駒形神社(17)」それぞれの境内にある‘富士塚’も同様の形態だ。高さ5~6メートルか。富士山から持ってきた溶岩を積み重ねて作ったそうだ。‘富士山信仰’を今に伝えている。登る際には足元に充分気をつけるように!!

2010_0602_081440-DSC01104.jpg 2011_1123_135931-DSC04848.jpg

2010_0602_081621-DSC01106.jpg 2011_1123_140050-DSC04851.jpg

2011_1123_140109-DSC04852.jpg 2011_1123_135954-DSC04849.jpg 

2011_1123_140653-DSC04858.jpg 2011_1123_140554-DSC04856.jpg

2011_1123_140229-DSC04854.jpg


  1. 2011/12/16(金) 08:00:13|
  2. ブログ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

(7)安蒜家板石塔婆

「流山新100か所めぐり」第番「安蒜家板石塔婆

西深井小学校の前,安蒜家墓地の中にある,石で作られた塔婆[卒塔婆]で,千葉県の有形文化財(建造物)に指定されている。
ところで,「安蒜」の読み方は?・・・「アンビル」です,念のため。


2010_0602_081905-DSC01107.jpg 2010_0602_081918-DSC01108.jpg

2010_0602_081954-DSC01109.jpg 2011_1114_092401-DSC04746.jpg

2011_1114_092413-DSC04747.jpg
市立博物館にはレプリカが置かれていてそのの解説によると『正和四年(1315)と元亨二年(1322)に作られた,通称「板碑(いたび)」で,緑泥片岩でできていて,武蔵型板碑の典型的な型式を示している。上部には弥陀・観音・勢至の三尊を,下部に光明真言(こうみょうしんごん)の梵字が彫られている』ということがわかります。

現地の解説板(上の写真)には以下のように記されています。


安蒜家板石塔婆  二基
 板石塔婆(板碑(いたび))は、鎌倉時代から戦国時代にかけて、全国各地で造られた中世の供養塔です。
 流山を含めた関東地方には、主に埼玉県の秩父地方で産出される緑泥片岩を扁平に加工した、武蔵型板碑と呼ばれているものが多く分布しています。
安蒜家の板石塔婆二基は、鎌倉時代末期に造られた武蔵型板碑で、ともに高さ一二四センチ、幅三一センチと中型の板碑です。
碑面には左図のような仏や経文を表す梵字や、造立年月日などが刻まれています。

【縦書きを横書きにして表しました。左が上になります。カッコ内のカタカナは振り仮名,□部分は欠損箇所です。】

(キリーク)       観音(サ)    (光明真言)
阿弥陀如来(蓮座)       元亨二年十二月廿三日
            勢至(サク)   (光明真言)
                  

(キリーク)       観音(サ)    (光明真言)
阿弥陀如来(蓮座)       正和三年八月十七日□覚□□
            勢至(サク)   (光明真言)

 この二基は、東葛地域の代表的な板石塔婆として位置づけられており、最も均整のとれた形をしています。
 昭和五十五年二月二十二日に、千葉県有形文化財に指定されました。
                                           流山市教育委員会



周囲の風景はこのようです。
2011_1123_135548-DSC04843.jpg 2011_1123_135611-DSC04844.jpg

2011_1123_135744-DSC04846.jpg 2011_1123_135820-DSC04847.jpg

  1. 2011/12/14(水) 09:00:10|
  2. ブログ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

(6)三社大神

「流山新100か所めぐり」第番「三社大神

前回の「浄観寺」から南西に200mほどの所にある。

2010_0603_101715-DSC01119.jpg 2010_0603_101732-DSC01120.jpg

2011_1123_134620-DSC04841.jpg 2011_1123_134109-DSC04834.jpg

2011_1123_134310-DSC04839.jpg 2011_1123_134253-DSC04838.jpg

2011_1123_134140-DSC04835.jpg
写真上:本殿には‘阿波本宮 大杉神社’と掲げられている。

写真左:「村社三社大神」の標柱

















2011_1123_134155-DSC04836.jpg
『三社大神の御由緒
 当宮の創建は神社明細帳によれば、万治二(西暦一六五九)年正月と伝えられております。御祭神の伊耶那美命(いざなみのみこと)は伊耶那岐命(いざなぎのみこと)と共に国生み、神生みをなされた女神であられ、大宮比咩命(おおみやひめのみこと)は、天照大御神(あまてらすおおみかき)の御前に使え、善言美詞をもって君臣の間を和楽せしめる女神とされます。また、蛟蜩比咩命(みつちひめのみこと)は、蛟蜩(みつち)に山川や木石などの精気が姿を現した角の無い龍の意があり、式内社に比定される茨城県利根町の蛟蜩神社の御祭神が、水の女神の罔象女神(みつはのめのかみ)であることからも伺えるように、自然の恵みと人々の融和に御神徳のある三柱の大神様を、万葉集にも歌われた葛飾早稲の産地とされる西深井の先人が、三社大神として御祀り申し上げたものと解されます。
 その後、大正九年八月十一日、誉田別尊(ほんだわけのみこと)を御祭神とする旧村社八幡大神を合祀申し上げましたが、尊は武勇に優れ、その御代には文学・工芸・美術が大いに発展した、文武両道に御神徳のある大神様であられます。
三社大神は今日まで、西深井の氏子の皆様を始め、多くの崇敬者の方々の深い信仰を集めております。     平成九年十月十八日     宮司 宮崎 等 撰文 』

                              ※「蜩」の漢字は正しくは,虫偏に罔と書く。



2011_1123_134236-DSC04837.jpg
飯綱権現像を刻んだという「秋葉塔」は確認できなかった。













  1. 2011/12/12(月) 09:23:38|
  2. ブログ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ