写真でつづる流山の道 2012年02月

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

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(52)円東寺

「流山新100か所めぐり」第52番「円東寺

つくばエクスプレスの車窓(秋葉原方面上り線左側)からも一瞬見えます。



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2010_0827_092618-DSC01789.jpg 石造十二神将    流山市指定有形文化財第十四号
 十二神将は薬師如来と薬師如来を信仰する者を守るとされ、甲冑に身を固めて武器を持った武神の姿であらわされます。
 また十二神将は十二支と結びつき、この像でも頭にそれぞれの干支を頂いています。
 円東寺の十二神将は高さが四十三センチほど、江戸時代に造られたと考えられます。
 十二神将を石で造ること、また丸彫り像であることなどが珍しく貴重です。
 髪の毛などに彩色を施し、背面には市野谷村を開いたといわれる寄進者の名前を彫っています。石造十二神将は、江戸時代の石造物として貴重であるばかりでなく、市野谷の歴史を物語る大切な文化財です。
                    流山市教育委員会



2011_1206_115522-DSC04974.jpg NPO流山史跡ガイドの会のツアーの際,ご住職の増田俊康さんのご厚意で石造十二神将を見せていただけました,ありがとうございました。一体一体の彫った跡に温もりを感じました。


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  1. 2012/02/29(水) 08:22:15|
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(51)浄蓮寺

「流山新100か所めぐり」第51番「浄蓮寺

「100か所めぐり」いよいよ後半です。



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2010_0826_084024-DSC01756.jpg 浄蓮寺小絵馬  流山市指定有形民俗文化財第四号
 絵馬は神社や寺院などに祈願やそのお礼のために生きた馬を奉納するかわりに、絵に描いて奉納するものである。図柄は馬だけとは限らず祈願の内容によって様々である。
 日蓮宗の浄蓮時は、日朝上人をまつり眼病が治ると信仰されていた。眼病平癒を祈願する人は、寺で水をもらって眼を洗い、小絵馬を奉納したという。絵馬の図柄は、『向い「め」の字』『拝み』などである。
 かつては、もっと多くの絵馬が奉納されていたというが、現在も保存状態の良い二〇〇点余りが納められている。民間信仰を知る上で貴重な文化財である。
                          流山市教育委員会






2010_0826_084056-DSC01757.jpg 民話‘ばちあたり仙蔵’
加村に仙蔵という母思いの若者がいた。その孝行者の仙蔵がいつの間にかバクチを覚えてしまった。みかねた母親は,大家さんの勧めで浄蓮寺(日朝様)の日到上人のもとに行ったところ,遠くの本山におこもりするという方便で本土寺におこもりするよう指示された。一方仙蔵は母がいなくなって心配し,日到上人に相談したところ,こんこんと諭された。バクチ封じの絵馬を描いてもらい,結願の日まで祈願を続けた。心が晴々した日,上人様は仙蔵に母親を会わせた。改心した仙蔵はそれからは前にも増して仕事に精を出したとのことだ。
    ※〝仙蔵の絵馬〟は市立博物館に保存されている。





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本堂には数多くの絵馬が掲げられている。眼病平癒祈願のため,「め」の字を左右向い合せた形の“向かい目絵馬”が特徴だ。
※普段は檀家の人が目にするだけだが,NPO流山史跡ガイドの会によるツアーに参加した際に,お寺さんのご厚意で拝見させていただきました。ありがとうございました。

  1. 2012/02/28(火) 08:14:42|
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(50)トーテムポール;流山市総合運動公園

「流山新100か所めぐり」第50番「トーテムポール(流山市総合運動公園)」



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「100か所めぐり」の名称としては「トーテムポール」となっていて「総合運動公園」は副題となっていますが,「TOP30」の選定に当たっては「流山市総合運動公園」となっています。
1991年に開催されたトーテムポール国際大会の会場になった所です。日本一の高さと言われた作品は,現在は半分ほどに切られています。倒壊の危険性があったために切断したのかもしれません。主な作品をご覧ください。
なお,「総合公園」としての紹介は数か月先を予定しています。乞うご期待!


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〝公園〟の南側に作品群が連なっています。
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上下4枚の写真は〝幻の日本一〟作品だと思います。先端の切り口の部分にブリキで浸水防止が施されています。
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高さが21メートルあったことを想像してください。体育館前の広場兼駐車場の(写真では)左手に作品があります。
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拡大画像。左が基底部,右が頂上部。
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  1. 2012/02/27(月) 08:09:59|
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(49)金乗院

「流山新100か所めぐり」第49番「金乗院(こんじょういん)」

地図は前回「No.48天形星神社」のマーク②を見てください。

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〝長崎小学校入口〟の交差点から見た金乗院。右手が〝寺の坂〟,その先が〝お墓の坂〟。金乗院は丘の上に立っているのがわかる。

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“天星山(てんしょうざん)”という名称・・・‘天神社’や‘天形星神社’と関わりがあるのか?


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2011_0410_143006-DSC02479 パノラマ写真・金乗院
境内全景(パノラマ)

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  1. 2012/02/26(日) 08:27:13|
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(48)天形星神社

「流山新100か所めぐり」第48番「天形星神社(てんぎょうせいじんじゃ)」

地図ではマーク①です(拡大してください)。次回の「金乗院」はマーク②で示しました。


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「天形星神社」の名前の由来と意味が知りたい。「天神社」と関係はあるのか?・・・調査中・・・
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上の2枚の写真は「石見社」の現在の姿(2012.2.17)ですが,
                                 下の2枚は東日本大震災で灯篭が倒壊した様子です(2011.4.30)。

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DSC00928.jpg 敬神
社殿改築記念の碑
長崎、野々下の地は、戦国期には既に集落を成していたことが、当時の古文書によって知られます。
 天形星神社は、千葉県知事保管の神社台帳に、御祭神は天照皇大神の弟神にまします素戔嗚尊、創建は寛文二年(1662)と載っています。
 尚御祭神は日本書紀によれば、出雲国簸川(ひかわ)上流にて八岐大蛇を屠(ほふ)り、その尾より都牟刈太刀(一に天叢雲剱、後に草薙剱)を得、天照大神に献り、又「八雲起つ出雲八重垣妻ごめに、八重垣作るその八重垣を」とよませ給える御詠は、即ち短歌の起源とも称せられる。
 このたび氏子一同、従来の社殿の荒廃を畏れて、協恭改築の議を決し、境外の石見社を境内に奉遷して、その跡地を譲渡、氏子又浄財を奉献、合わせて資となし。
 本殿、幣殿、拝殿計二十坪及び石見社を、台湾檜にて流れ造り銅板葺を以て改築、調度を設け、鳥居を一基は移し二基を建立、燈籠を配し、狛犬を据え、御手洗舎を建設、参道に石畳を敷き、境内は樹木を植え且つあまねく整備、斯くして全計画を竣成。
 本日茲に奉祝大祭を斎行、神威の弥高を拝し、国の隆昌と世界の共存共栄、並に氏子崇敬者の弥栄を祈って記念とします。
 昭和六十三年四月吉日     宮司 古谷金祐 謹誌


2012_0217_094815-DSC06457.jpg 石見社の由来
「いわみさま」は寛政年間、徳川幕府の房総三牧の野馬方総取締まりをされた旗本岩本石見守をお祀りしたお宮です。
 長崎、野々下の両村は三牧の一つ小金牧の野付の村として隣接した牧内に野馬入り新田を開拓することは多年の願でした。この願望を認めてくれたのが石見守で寛政六年のことでした。この新田を原新田と呼びました。林畑です。この新田には秣の育成、松、杉、楢等の植林がなされ、薪、炭の生産も成果を上げ豊かな村となりました。
 村民一同、石見守の人徳のお陰と感謝の念を深めました。報恩の一念から文化九年には「石見大明神」の石碑を建て、明治初年にはこの碑を御神体として長崎一丁目七四二番地に境内を定め、社を設け、鳥居も建てて代々祭祀を続けて参りました。昭和六十二年七月十五日天形星神社境内に造営竣工された新社殿に遷座されました。
     昭和六十三年四月吉日           根本正夫 謹記


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境内裏には‘三等三角点’があります。手持ちのGPS測定によると,北緯35°51′54.7″ 東経139°56′0.8″,地図による標高は19.3m

2012_0217_095419-DSC06466.jpg 流山市立博物館発行の調査研究報告書(12)「流山の道」の冊子の表紙にはこの場面の写真が使われています。(私の写真が採用されたのではありません!)ここがいかにも流山らしい道の風景だとして使ったのでしょう。神社[天形星神社]と古木と森と曲線の道・・・いいですね。その冊子の裏表紙には〝道角の道標〟が使われています。










  1. 2012/02/25(土) 08:17:10|
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(47)熊野神社《東初石》

「流山新100か所めぐり」第47番「熊野神社」《東初石》

地図は,前回「No.46成顕寺」マーク②をご覧ください。
「熊野神社」はもう一つ思井(No.84)にもあります。


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2011_0413_150330-DSC02550.jpg熊野神社由緒
一 御創建は、明治年間より、千葉県知事保管の、神社明細帳に不詳と記されているが、江戸時代中期の古文書に十太夫新田の地名が見え、その頃鎮座と古伝にあり。
一 御祭神は、熊野夫須美(フスミ)大神(伊弉冉尊)家津美御子大神(素戔嗚尊)、熊野速玉大神にましまし、總称して熊野大神と称(タタ)え奉る。
一 御神徳は、白河法皇をはじめ、皇室の崇敬あつく、又蟻の熊野詣で知られる如く衆庶の信仰をもあつめ、当地鎮座の後も氏子はもとより広く崇敬者から、家内安全、身体健全、学業成就、攘災招福など神徳を仰いで今日にいたる。尚当社殿は昭和五十一年の完工であります。
天皇陛下御即位六十年を奉祝して建之
昭和六十一年十月吉日 氏子中





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“稲荷神社”と“天満宮”も祀られている。

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  1. 2012/02/23(木) 07:47:27|
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(46)オランダ観音

「流山新100か所めぐり」第46番「オランダ観音

地図上のマーク①の場所ですが,2012年2月現在,周辺では大規模な造成工事が行われているので,道が寸断されていると思います。気を付けて行ってください。場所を拡大しないと迷子になります。付近の目標として地図上では〝キリストイエズスの宣教会〟となっていますが,〝神愛幼稚園〟の方がわかりやすいと思います。
なお,同じ地図にマーク②として次回の「No.47熊野神社」を示してあります。




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オランダ観音
 徳川幕府は早くから馬匹(ばひつ)改良のため、オランダ経由で。大きくて力強く美しいペルシャ馬を輸入した。四代将軍家綱の頃、小金牧に放されたペルシャ馬は、日本馬となじめず、気候環境の変化も手伝い暴れまわったので、ついに狙撃され、傷を負い、十太夫新田の沢に辿りつき、水を飲みながら息絶えたと伝えられている。後年、里人がこれを憐れんでオランダ観音として祀った。                    流山市観光協会


当ブログNo.19で紹介した「オランダ様」と並んで,当時のオランダとの交流が偲ばれる。

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  1. 2012/02/22(水) 10:00:46|
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(45)成顕寺

「流山新100か所めぐり」第45番「成顕寺」《TOP30-22》

地図は前回の「No.44諏訪神社」のマーク②を見てください。

神仏習合の形跡が残る寺院で,諏訪神社の奥ノ院でもある。流山七福神“弁財天”を祀る。また10月には人形供養がおこなわれる。

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門が二つある。左の門(下の2枚の写真)を行くと稲荷神社がある。右(写真右上)を入ると正面に本堂と社殿が見える。右の入り口には「成顕寺流山市」と刻まれている。

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左の入り口には「駒木成顕寺」と標識がある。神社を過ぎると寺の門柱がある。

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                            二つの入り口の間にある右の石碑には〝日蓮大菩薩報恩塔〟と刻まれている。

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「妙[ ]稲荷明神」([ ]部分の漢字は,〝人偏〟に〝帰の旁〟を合わせた字です)

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境内中央にあるのは井戸。建物は,左が諏訪霊像を安置する竜王堂[神社],右が釈迦牟尼仏を安置する本堂[寺]

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左が諏訪霊像を安置する竜王堂[神社],右が釈迦牟尼仏を安置する本堂[寺] 

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お賽銭箱が廊下の床と一体になっている。
ここでしか見られない!















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2011_1226_095222-DSC05368.jpg 鰐口               流山市指定有形文化財第三号
鰐口は神社仏閣の軒先に懸け、参拝者が鉦の緒という布縄を手にし、振って鼓面を打ち礼拝するものである。口が大きく裂けている形から、この名がついたと思われる。
この鰐口は鋳銅製で直径九十センチ、厚さ五十センチ(推定)と大型で、「千住□丁目/金拾両惣世話人中/文政七甲申年(一八二四)七月吉日/千住壱丁目/願主 福嶋屋/江戸神田住 御鋳物師/西村和泉守作/(寄進者名多数)」と刻まれる。

紙本著色釈迦涅槃図 流山市指定有形文化財第二十五号
 釈迦涅槃図は釈迦の入滅に際し、弟子や仏教に帰依した羅漢、更には動物たちまでが嘆き悲しむ様子を描いたものである。
 この涅槃図は、図中の落款及び軸裏の張紙から、宝暦十年(一七六〇)成顕寺第十九世妙宇院日性の時、日暮東雲という人が描いたと知られる。全体に理知的な構図で整った作品である。
                                        流山市教育委員会


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                                       動物供養碑(左)と人形供養碑(右)
 
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  1. 2012/02/21(火) 14:27:35|
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(44)諏訪神社

「流山新100か所めぐり」第44番「諏訪神社」《TOP30-2

地図はで,「諏訪神社」(マーク①)と「成顕寺」(マーク②)を一緒に表示します。


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神馬について【木の板に墨書き】
今から約九百年前 平安後期の武将源義家(八幡太郎ともいわれ陸奥守鎮守府将軍)は 奥州の豪族が反乱を起こした際に 朝廷の命を受けて 追討のため下向の途次 当神社に参詣して 戦勝を祈願し その後役が鎮定しての帰途 再び当神社に詣でて 乗馬及び馬具を奉献して 神恩に報謝した その古い記録に基づいて この度先年 社殿を葺き替えた際の古銅を以ってこの神馬を鋳造しました  宮司誌








2010_0831_085647-DSC01870.jpg 源義家鞍掛之枩

鞍掛枩の碑に添えて
 九百年間源義家が後三年の役を終えて神馬奉謝の為に当神社に奉馬及び馬具を奉献した際に鞍を掛けた松は第一鳥居前を五十米程前方の豊四季字鞍掛現ツルハドラック前の県道沿いにあった 古老の言によると臥龍の形をした見事な松であった 明治初年の台風で古損した 字名の鞍掛はこの松に由来する
 因にこの地の前の県道を境に北側は字名を姫宮という もと当社の摂社姫宮神社の境内地であった 明治の中頃神社は当境内地に遷された
 平成二十年記  社務所









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 道問えば大根曳いて教へけり
 
この句は蕪村がこの里近くで作ったと伝えられています そしてこの句が神社に献額されています そうすると蕪村が初冬の頃畑で大根ぬきをしているお百姓さんに「おすわさまはどちらですか」と問いかけたらその人はふり向き乍ら「あちらです」とおしえられたときの句ともかんがえられます













2012_0217_092836-DSC06451.jpg 山上憶良
銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに まされる宝 子にしかめやも

歌碑に寄せて
銀も金も玉も何せんに まされる宝子にしかめやも
万葉集の歌人山上憶良は「白銀金も宝玉も何としょう すぐれた宝は子に及ばない」 子を思う親の心を表した名歌です 長崎の平和像の制作者北村西望先生が当神社のために百壱才のときに書いて下さったものです
「子育ての神様でございますお諏訪様」に相応しい歌なので碑を建てました







2010_0831_085907-DSC01873.jpg 諏訪神社 御由緒 畧記

御祭神 健御名方富命(たけみなかたとみのみこと)  父神 大国主命    
女神 高志沼河此売命(こしぬなかわひめのみこと)  后神 八坂刀売命(やさかとめのみこと)

御創建 平城天皇の大同二年(八〇七)
平成十八年 御鎮座千二百年の式年大祭を斎行

御神徳 昔から駒木のお諏訪様と云う御名で近隣はもとより関八州の崇敬者から尊び親しまれ 健康で
家内は安全 生業は平安発展ありとある心願成就の神様 心の拠り所として広く知られ 古くは源義家(一〇三九 ― 一一〇六)は後三年の役に際し鎮守府将軍として当地方が馬と武具の産地故 此の地に於いて人馬を集め武備を整えて御神前に武運の長久を祈って征途に就き 平定帰洛の折には 乗馬及び馬具を奉献 降って水戸光圀公には数度の参拝をはじめ崇敬者の祈りは今日に及びます
尚 諸願祈祷はお申込み次第随時執り行います


2011_1226_093156-DSC05345.jpg 諏訪神社略記
一 御祭神
健御名方富命(たけみなかたとみのみこと) 父神は大国主命 母神は高志沼河比売命(たかしぬまかわひめのみこと)
妃神は八坂刀売命(やさかとめのみこと)にましまし 一般に駒木の「おすわさま」という名で親しまれています
二 御神徳
諏訪大神は出雲の國譲りの神話で活躍された神様で御名の示す神徳の如くいよいよ
「健」の神徳によって 無病息災 健康をお守り下さり
「御名方(みなかた)」の神徳によって限りない恵みの水をお与え下さり
「富」の神徳によって生活に必要な衣 食 住をお授け下さり
即ち生きるために必要な一切をお授けお守り下さる
生命の本源の親神様として神護のまにまに古くから家運隆昌 五穀豊穣 諸病消除 延命息災等 神威の
こよなくあらたかな神様として遠近より詣で来て心を正し身を清めつつ 祈る人跡を絶たず 特に八月二十二日 三日の大祭には十万に及ぶ参詣者で賑わいます
三 由緒
今から千百七十余年前 即ち平城天皇の大同二年 この地方を開発された 天武天皇の後裔によって創建せられ 以来住民は広大な神徳を仰ぎつつ朝(あした)に神護を祈り 夕に感謝の生活を営み降って寛治年間 源義家奥州鎮撫の際は乗馬及び馬具を献じて報賽の誠を捧げ 或は徳川光圀数度の奉幣をはじめ 領主の崇敬厚く衆庶の信仰は実に関東一円に及び今日に至りました。


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諏訪の宮
 「駒木のお諏訪さま」という名で親しまれている 当神社は平成十八年には御鎮座壱千二百年を迎えます
 思えば平安・鎌倉・室町・戦国・江戸、更に明治・大正・昭和・平成と長い年月を、広く世の人人は、政治・動議・人倫・品性・生活・希望のよりどころとして、神威を畏み、崇び敬い、加護を拝して、中今の今日に至った
 清雅(きよらか)にして常若(とこわか)、簡靖(しずか)にして厳恭(おごそか)な真秀良場なす神奈備にそぞろ詣でればおのずから愈ゝ国の隆昌と世界の共存共栄と吾が祈りと誓いを捧げ奉る
 これのわが諏訪の大みやしろ永久にこそあらめ




2011_1226_091946-DSC05331.jpg 御鎮座壱千二百年の碑
 駒木のお諏訪さま という名で 古くから広く世に親しまれている 諏訪神社は その昔 高市皇子の後裔とゆかりの人たちが 新しい天地をもとめて そらみつ大和国からはるばると とりがなく東國は この大堀川のほとり駒木の里を うまし良き地と選び定めて 田畑を墾(ひら)き 邑落(むら)を形成(つくり) 人々の心のよりどころとして 大同二年に みすずかる信濃国に鎮まり座す 諏訪大社の御分祠を鎮祭の神社であります
 以来 人々は 朝に祈り夕に感謝の誠を捧げて 子子孫孫相承け相伝えて年を重ね 今年は数えて 壱千二百年の節目の嘉年を迎えました
 長い年月を顧みますと かの 後三年の役に際し 鎮守府将軍として 勅命を拝した 八幡太郎義家は この地において人と馬を集め 武具を調達 神前に御加護を祈って 征途につきました 勿来の関にかかると 春は正にたけなわ 吹く風を 勿来の関と 思えども 道もせに散る 山桜かな(千載和歌集)と 馬上豊かに詠じ 陸奥国に着くや 武勇と徳厚によって さしもの騒乱は鎮定しました その帰洛の途を 再び大前に額ずいて 乗馬及び馬具を奉献して 感謝の誠を捧げました
 降って 水戸光圀公や 領主も幣帛を捧げ 神社の崇敬者は関八州に及びました
 曽つての広大な境内地は 江戸幕府の放牧地として縮小しましたが 昭和から平成にかけて 機会を重ねて拡張を続け 漸く往昔の端を偲ぶに足る 社叢は神さびました
 式年の嘉年を迎えるに当り 先年来 御神恩に奉謝の丹誠を捧げて 南参道を新設 なごみ像を設置 敷石を 改修 数多くの春日灯籠を建設 社務所・講堂の各屋根銅板を葺替 隨神門を建立 隨神像を安置 境内は樹木を植栽して整備 殿内の隨神・狛犬を塗り改め 簾・壁代等各調度 又社務所の全備品を改修整備して 本日茲に 氏子 崇敬者多数参列 奉祝の式年大祭を斎行 仰いて 益々 神徳の弥高を拝し 愈愈 国の隆昌と 世界の共存共栄 並に 氏子崇敬者の弥栄を 祈誓新たにいたしました
   平成十八年四月二十三日
      宮司 古谷金祐 謹誌
      禰宜 古谷和史 謹書


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年末年始には〝輪くぐり〟ができる。

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  1. 2012/02/19(日) 07:26:21|
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(43)稲荷神社 《西初石》

「流山新100か所めぐり」第43番「稲荷神社」《西初石;旧大畔新田》

第11番で紹介した平方村新田の「稲荷神社」,14番の「水辺稲荷」,23番の「江戸川台稲荷神社」,39番の「白狐稲荷」につづいて五つ目の‘お稲荷さん’。市内にはもう一つ74番「寺田稲荷」がある。



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  1. 2012/02/18(土) 08:58:17|
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