写真でつづる流山の道 2012年08月
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写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

調整池① 《東深井・西深井・中野久木・松ヶ丘》

〝人間の営み〟として〝治水〟を見てみたい。『治水治国』『善く国を治める者は必ずまず水を治める』は少々大げさかもしれないが,私たちが暮らす地域で水を管理・統率している現場を見るのは意味があることだと思う。大げさなことは分かったいる。単に“ヘー,こうやって水を手なずけているんだ”と感じてもらえれば十分です。
江戸川や利根川の流路を変えたかつての史実は当ブログで扱うには大きすぎるテーマなので,ここでは35㎢の流山市内に10カ所ほどある「雨水調整池」を訪ねてみました。何かに利用することが目的ではないようで,大雨の時ここに雨水が流れ込むようになっているらしいです。詳しいことは他のHPで見てください。
第1回は,東深井・西深井・中野久木・松ヶ丘を訪ねます。


マーク①は下へスクロールしてください。


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マーク①
松ヶ丘の調整池:コンクリートの壁の中は〝池〟でした。このように傾斜地の地面からそそり立つ形のものはここだけです。

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2011_0623_130824-DSC03499.jpg 掲示板には次のように書かれています:

名 称:松ヶ丘調整池
所在地:流山市松ヶ丘三丁目290-31
容 量:766㎥
面 積:212㎡
深 さ:3.892m  ※もっと深いように見える・・・
管理者:流山市長
連絡先:土木部河川課
この施設は、開発区域及びその周辺に降った大量の雨水を一時貯留して、下流への流量の増大を抑制し、洪水の被害を防ぐためのものです。




マーク②
東深井の調整池:ここは地面を掘って作られています。松ヶ丘のようにそそり立ってはいませんが,のぞくと吸い込まれそうな怖さを感じます。

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マーク③
中野久木の調整池:住宅に囲まれていて,画像はこれ1枚だけです。












マーク④
西深井の工業団地にある調整池:やや浅い分,面積を広く造ってあります。工業団地を水没から守っているのでしょう。

2012_0623_085308-DSC08588 パノラマ写真

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  1. 2012/08/17(金) 09:07:53|
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壺垣 《小屋》

壺垣」というものを知った。‘石垣’の代わりにミリンの醸造・保存に使った壺を並べて作ってあるのだ。流山街道沿いの「香取神社」の少し北,ヤマト運輸の集配所の脇の道を東へ進むとある。その先を進むと「八坂神社」の裏に出る。一見の価値はあります。たっぷりご覧ください。



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道の両側にあるのではありません。アングルの違いです。
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無数の〝目〟に見つめられているようです。
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右の画像で〝万上〟と読める。堀切家の〝万上ミリン〟の商標とわかる。(秋元家は〝天晴ミリン〟)
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アジサイと芝桜がきれい!
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  1. 2012/08/14(火) 08:00:53|
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三輪野山貝塚 《三輪野山2丁目》

きょうから第4ステージ「人間の営み」を始めます。今までの‘名所’や‘寺社’から少し離れて,普通の人々が生活を営む中での‘文化’に目を向けます。
そこに住む人にとっては‘ナンテコトノナイ’ありふれた風景かもしれませんが,ちょっと視点を変えると面白い発見ができると思います。
流山のここがオモシロイ!」にご期待ください。





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第1回は「三輪野山貝塚」です。ここは「上新宿貝塚」「上貝塚貝塚」に加えて流山市内3つ目の貝塚です。発掘調査が完了した後では「三輪野山4号公園」となっていますが,解説板には詳しい説明があります。

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2011_0302_135953-DSC02312.jpg「三輪野山4号公園」(三輪野山貝塚の現状保存区域)
三輪野山貝塚
 三輪野山貝塚は、標高約20mの台地上に第1~5貝塚が環状に位置する、縄文時代後期初頭から晩期中葉(約4,400年前~約2,500年前)の遺跡です。明治32年に学会に紹介され、昭和62年の貝層分布調査により東西150m・南北約100mにおよぶ大規模な貝塚であることがわかりました。土地区画整理事業と県道拡幅改良工事に伴う流山市教育委員会と千葉県文化財センターが平成2~19年度に実施した発掘調査により、良好に保存された縄文時代のムラ(集落)の跡から貴重な発見が相次ぎました。
 縄文前期の海進により三輪野山の台地の下は海辺でしたが、本集落が営まれた縄文後期には海退により海が遠ざかっていました。それでもこの地に縄文人が造り始めた(後期初頭)竪穴住居や掘立柱建物などは、その数が急増(後期前葉)します。また貝塚が形成(後期中葉)され、貝やシカ・イノシシの骨などを加工した道具が多く出土しました。貝類もハマグリ・カキなど海水産から、真水の混じる汽水産のヤマトシジミになる(後期後葉)など環境の変化も窺えます。また富山・新潟産のヒスイが勾玉など完成品だけでなく、原石や穿孔途中の未成品で出土したことは、三輪野山の縄文人が硬く難しいヒスイの加工を行った証拠です。
 特筆すべきは貝塚中心部の調査で、縄文人が人工的に掘り込んだ広範囲(直径70~100m)な中央窪地と東窪地が発見され、土偶や土板、石棒・石剣といった祭祀系の遺物が多量に出土したことです。さらに西側斜面では窪地を掘った土を積んだ盛土(高低差2m)が発見され、隣接する第5貝塚もその一部だったことが分かりました。貝塚と斜面盛土が窪地を取り囲むコロシアムのような祭祀的空間を縄文人が造り、維持したものと考えられます。この公園が傾斜面になっているのはその名残です。これは、縄文時代後晩期に東日本の拠点的集落で造営される大規模遺構のひとつで、「環状盛土遺構」といわれるものです。また縄文時代晩期前~中葉の「道路状遺構」が集落の東西で発見され、ムラの交通路がわかりました。西側斜面では後期盛土を切り込み地山の粘土層を階段状に掘り込んで、台地と低地を結んでいました。
 三輪野山貝塚では、約2,000年間におよぶ縄文時代後晩期の遺構・遺物が発見されましたが、調査終了区域は遺構が消滅しました。そこで、本貝塚の現状保存区域(第1~4貝塚)を後世に遺してその歴史を伝えるため、三輪野山4号公園が整備されました。
     平成21年3月15日  流山市教育委員会

※解説板には「出土品」や「発掘状況」を示す写真が掲示されています。


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この風景の中に4400~2500年前の人々の生活を想像するのは楽しい。1ミリを100年とすると25mm~44mmの昔,全体では1万年に及ぶ縄文時代は,その初期は123mmにまでさかのぼるそうだ。今の私たちは1万年先にはどうなっていることだろう?いや,せめて2000年後(20mm先)にどうなっているか,〝考古学〟ならぬ〝考未来学〟も楽しい。

2012_0110_093527-DSC05619 パノラマ写真

2012_0110_093805-DSC05622 パノラマ写真パノラマ画像がゆがんでいますが,これがほぼ全景です。(上:南側から),下:東側から)
2012_0320_101958-DSC06903 パノラマ写真 
昨日(2012.8.12)「さわやかちば県民プラザ」で開かれた「歴史講座:貝塚のあるムラ・ないムラ」を聴いてきました。開催中の“よみがえる縄文のむら”の展示も見てきました。久しぶりに土器の破片を触りました!これからは柏市にも出かけてみようと思います。2012.8.25には「矢船Ⅱ遺跡現地説明会」に出かける予定です。
先人の航跡をたどることによって今の自分がわかる気がします。


  1. 2012/08/13(月) 08:37:15|
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湧水 《西深井・下花輪・前ヶ崎》

流山市内には3か所の「湧水」があります。いずれも江戸川に近い台地の西側,縄文時代では〝奥東京湾〟の海が迫っていたところです。‘こんこんと湧き出ている’という風情ではありません。湧水点からの川の流れは確認できていません。



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西深井湧水マーク①
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下花輪湧水マーク②
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湧水点から道路を挟んで向かい側にクリーンセンターがある。そこには広い池がある。このあたり一帯が遊水地なのだろうか。
 
前ヶ崎中湧水マーク③
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  1. 2012/08/09(木) 07:52:54|
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流山七福神・・・番外

流山七福神を紹介してきましたが,〝番外〟として広寿寺マーク①茂呂神社マーク②を紹介します。




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2012_0329_100409-DSC07103.jpg「流山七福神」を祀る寺ではないが,七福神についての解説があった。

里の七福神
一、寿老人  運の良い福笑いの顔
一、布袋尊  かぜを引かない御利益がある
一、弁財天  紅一点の神様 この笑いが福をよぶ
一、大黒天  この神様の笑いが一番とされている
一、福禄寿  知恵の神様 受験の神様
一、恵比寿天 くったくのない笑顔をたたえる人こそ福がまいこむ
一、毘沙門天 夫婦円満の相につうじる和合の笑い
開運七福神まいりにより福がさづかることまちがいなし



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流山寺で紹介した大黒天だが,茂呂神社にも石像がある。
大国主命と大黒天は同一の神とされるが,大物主命は大神(おおみわ)神社の祭神。そのミワを採って「三輪茂呂神社」と言うのかな?
神様の名前は難しい。
                                         









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  1. 2012/08/06(月) 08:16:51|
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流山七福神(7)寿老人;清瀧院

流山七福神第7番目は清瀧院にある寿老人です。




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寿老人 清瀧院
寿老神とも書きます。長寿の神様で老子の化身の神とも言われています。
長命、富財、与宝、諸病平癒の神でもあります。
人々の安全と健康を守ります。
流山市観光協会










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左の2010年6月の画像と比べて,右の2012年3月では,幟が新しくなっていました。

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『鹿を伴ったお姿で知られています。鹿は1500歳で、その肉を食べた者は2000年の長寿が得られると言われています。枝の先に結びつけられている軸は人の寿命の長短を書き記した帳簿といわれています。』(七福神パンフレットより)
















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  1. 2012/08/05(日) 07:20:40|
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流山七福神(6)布袋尊;春山寺 《野々下1丁目》

流山七福神第6番目は春山寺の布袋尊です。




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『福々しい笑顔とべんべんたる太鼓腹で、福をつめこんだ袋を持って幸運を授けてくれる。福徳円満 破顔一笑 どんな厄災も笑って吹き飛ばす。触れてあやかる福の神です。』(七福神パンフレットより)
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                                 『ふるさとの こころのとどきし 
                             わがあいは ここにあり 布袋』


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  1. 2012/08/04(土) 07:31:58|
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流山七福神(5)恵比須;長流寺 《流山6丁目》

流山七福神第5番目は,長流寺にある恵比須です。



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恵比須 長流寺
エビスは鯛と釣竿を持っていて、「釣りして網せず」と言われ清廉の心を象徴しています。
福徳や商売繁盛をもたらし、うやまうことで心が安らかになると信仰されています。 
                                       流山市観光協会











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  1. 2012/08/03(金) 07:37:37|
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流山七福神(4)大黒天;流山寺 《流山7丁目》

流山七福神第4番目は,流山寺(りゅうさんじ)にある大黒天です。




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大黒天 流山寺
インドでは暗黒の神(シヴァ神)として生まれ,その後仏教の子となり悪い神をやっつける牙をむきだした顔を持つ戦いの神でした。中国の唐の頃より、金袋を持ってすわる姿で寺の台所に祭られるようになりました。伝教大師により日本に伝えられ,鎌倉時代には福よかなお顔に変身しました。大黒天は豊作の神,財福の神とされています。
流山市観光協会








2012_0224_100429-DSC06540.jpg【大黒天像下の石碑に刻まれていることば】

流山寺大黒尊天御宣示
一、 喜んで働く福槌を持つ人
一、 信用の米俵を踏まえている人
一、 節約して貯金袋をかつぐ人
一、 常に和顔愛語を忘れぬ人
一、 与えて惜しまぬ大きな腹の人
一、 身低くお陰様の頭巾を頂く人
一、 日々の感謝に生きる信仰の人
御宣示を守る人は、みな福徳をさずかります。
お参りは「オン・マカキャラヤ・ソワカ」を三回繰り返します。
第二十四世俊裕代移動、記



大黒天はオホクニヌシ,オホナムヂ,アシハラノシコヲ,ウツシクニタマ,ヤチホコと5つの名前を持つ。『大国主神は,偉大なる国の主の意で,葦原の中つ国を統一し,最初の王者となるところから名付けられている。多くの別名を持つが,神の名はその力を示すもので,それだけさまざまな力を持っていることを表している。ただし,別名で呼ばれている神は,もとは別の神であり,それをオホクニヌシ(大国主神)という名で統合をはかったと考えられる。』(三浦祐之「口語訳 古事記」文春文庫より引用)

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大黒天と並んで左側に置かれているのは‘猿田彦(サルタビコ)’です。

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【猿田彦像下の石碑に刻まれていることば】

猿田彦大神(サルタヒコ)
日本神話。天照大神の孫にあたる天津神が地上に降りる際、辺りを明るく照らしたことから道の神、旅人の神(道祖神)として旅人の安全を守る。
 また、※庚申信仰の祭神として、見ざる、聞かざる、言わざるの三猿とともに、祭られる。

※「庚申の日の晩に人間の体の中に住む上尸(ジョウシ)の虫、中尸の虫、下尸の虫という三尸の虫が天に登ってその人の行状を神様に報告し悪いことをしていたらその分寿命を減らす」という言い伝え。
第二十四世俊裕代移動、記




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  1. 2012/08/02(木) 08:11:03|
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流山七福神(3)福禄寿;西栄寺 《桐ケ谷》

流山七福神3番目は西栄寺《桐ケ谷》にある福禄寿です。




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福禄寿 西栄寺
中国や日本で人びとの願いである幸福・人徳・信頼の福徳と役職・財産の禄および長寿を司る神として信仰され、また、南極寿星の化身とされております。
                流山市観光協会











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                                   朝寝坊観音こと琵琶首観音も出迎えてくれます。
  1. 2012/08/01(水) 07:23:26|
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