写真でつづる流山の道 2012年09月

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

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階段道(4)

きょうは《西初石3・4丁目》と《上貝塚》を巡ります。
地図を2枚にしました。
①~⑤は〝地図Ⅰ〟を見てください。最後の画像が2枚目の地図〝地図Ⅱ〟になります。


地図Ⅰ


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地図Ⅱ


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 右手前は若葉台の公園。この程度の傾斜だと,階段より斜面を歩く方がヒザからカカトにかけて気持ちいい。

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 住宅地の中の段差。

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 ホームタウン初石若葉台に通じる階段道。若葉台と西初石3丁目の境になる。

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 西初石4丁目の「西初石小鳥の森」(左手の森)入り口に通じる階段。Google地図にはこれが表示される!












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 西初石4丁目。地図では車でも行けそうに見えるが,行ってみるとこの通り。当ブログで使っている‘地図z’には表記されている!カーナビではどうなっているのだろう?我が家の車にはカーナビは付いていない。











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地図Ⅱ-① 上貝塚貝塚が流山街道(フェンスの向こう)と接する所にある階段。ほとんど使われることがないようだ。










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  1. 2012/09/30(日) 08:01:41|
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階段道(3)

きょうは東武野田線をくぐる〝地下道〟と,鉄製の「階段道」を紹介します。



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流山市内の東武野田線をくぐる地下道は2か所あります。一つは江戸川台駅北側にある,その名も「江戸川台地下道」。江戸川台駅が橋上駅になる以前は,柏から大宮方面(上り)の電車から降りて東口側へ行く場合,必ずこの地下道を通ったような記憶がある。

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西側の出入り口
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                                          東側の出入り口
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2つ目は,江戸川台と初石の中間,常磐道を造る際に設置した地下道。通行する人は少ないがなくてはならない「階段道」です。元気な人なら自転車に乗ったまま上れる程度の傾斜になっています。壁に落書きがないのがいいですネ。地図上ではマークを1つだけで示してありますが,出入り口が4か所あります。それぞれの画像がどこを撮ったものかあいまいになってしまいました。

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                                 樹木が茂っている方が常磐道
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ここは流山街道沿いの香取神社近くにある,駐車場から下の住宅地へつながる鉄製の「階段道」。『関係者以外の通りぬけ厳禁』とある。チョット失礼しました。下が自治会館につながっているためだろう。このような構造の階段は地図上には表示されない。

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上の鉄階段の反対側にあるコンクリート製の「階段道」。ここも下が駐車場,そして住宅へと続いている。











  1. 2012/09/29(土) 08:25:20|
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階段道(2)

階段道」第2回目は,《中野久木》と《富士見台2丁目》です。



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 中野久木の典型的な「階段道」                  富士見台2丁目の〝通路〟といった感じの「階段道


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 商店に通じる「階段道」                       ③と同様のもの。
  自転車用通路が1本だと上り下りで方向が異なる。        自転車の通路が独立している。


②③④は集合住宅‘小田急ハイツ’の敷地に含まれると思うが,「階段道」とします。


  1. 2012/09/28(金) 07:25:37|
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階段道(1)

新シリーズ「階段道」を始めます。
「階段道」とは,『道の途中に階段がある道』です。一般の生活道路なのに,徒歩でしか行き来できないし,自転車は下りて引いていかなければならない〝道〟です。当シリーズでは,公園や集合住宅・個人住宅などの敷地に入るための階段は原則除外します。市内に50数カ所確認していますが,読者のみなさんからの情報もお待ちしています。
流山市の北部から順に,だいたい1回に5か所ほどずつ紹介していきます。タモリの〝高低差〟を私なりに極める試みでもあります。お楽しみに!

第1回は《東深井》の東武野田線運河駅近くの「階段道」です。東京理科大への通学路になっています。



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マーク⑤はずーっと南へスクロールしてください。3回縮小すると現れます

まずはこの写真を見てください。運河駅(西口)を出て流山街道沿いに運河橋へ向かう所です。渡った先が理科大です。ビルが張り出していて歩道はドブの上です。この危険をおかさないように以下に示す「階段道」があるのです。もちろん遠回りで,下って上るのです。
幸いなことに,2013年3月には運河駅が橋上駅舎となり,東口が開設され自由通路もできる予定です。この危険な歩道も,つらい階段道も使わなくて済みます。(階段の上り下りは変わりませんが)理科大生も一安心です。


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 ここを降りて,線路をくぐって・・・              ここを上がると‘ふれあい橋’に出る

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運河北岸から理科大に上がる所。              理科大の敷地内かもしれませんが,
  ふれあい橋から撮影                       一般の人も通れるので「階段道」とします。


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東深井にある「階段道」は上記の運河橋周辺だけなのですが,オマケとして江戸川台東4丁目との境にある公園を横断している「階段道」も紹介します。通勤・通学・買い物に使っている〝道〟です。左手に自転車用のスロ
プがあります。











  1. 2012/09/27(木) 09:00:35|
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流山の地名---PLUS

「流山の地名---PLUS」として,流山市内にある〝漢字1字地名〟(6つ)をまとめます。もちろん流山市以外にもありますが,いずれ...ということで。

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漢字1字の地名と覚え方 《流山市限定》
えて にも がある
※「加」は〝か〟だが,覚え方の中では〝くわ(えて)〟と読む。

この覚え方は私の自作ですが,すでに存在していたら却下します。

奈良時代に「仮名一字の地名はダメ」とのおふれが出たが,流山の地域には浸透しなかったと考えられる。‘加’と‘木’がそれに当たる。しかしその他は〝仮名2字以上〟なのでヨシとしたのだろうか。東葛の他の地域でも一字の地名がある。〝一字一音〟は〝大切な基本となる物〟に付けられているから,が一説としてある[目・歯・毛・・・/耳・乳・腿は左右に2つあるから]。‘柏’は漢字一字だが読みが‘かしわ’と三音なのでOK。‘紀’は‘き’一音ではだめなので‘紀伊(きい)’‘紀ノ川(きのかわ)’としたらしい。


  1. 2012/09/22(土) 07:56:16|
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流山の地名(10)

シリーズ「流山の地名」最終回です。「鰭ケ崎」「宮園」「南流山」「」の4カ所です。
これで流山市内の字名をほぼ網羅しました。
地名を証明するものがなかった地域は「深井新田」「平方村新田」「上新宿新田」の3か所です。いずれも北部江戸川沿いにあります。




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2012_0204_091242-DSC06236.jpg鰭ケ崎(ひれがさき)
東福寺縁起や八木村誌に,弘法大師が立ち寄った時,龍王と名乗る老人が現れ,薬師如来像を彫るよう告げた。像を彫る木を探していると龍が竜宮の霊仏をもって現れたので,大師はこれを薬師如来に彫り直して東福寺を建立して像を祀った。龍が帰るとき,鰭の先を残していったという。またこの辺りの地形が海に突き出た岬[崎]に似ていることから〝鰭の形の台地〟という意味で「鰭ケ崎」としたとも考えられる。東福寺の山号は守龍山という。また「ひれか崎村」の表記がある。








2012_0413_132814-DSC07644.jpg宮園(みやぞの)
名称は『思井の熊野神社の前庭,五穀豊穣の園』という意味がある。昭和48年5月東急不動産が「東急ニュータウン流山みやぞの」として建設工事が始まった。昔は坂川の氾濫があった水田地帯だったが現在では見事な碁盤の眼のような市街地となっている。最長1kmの直線道路や,坂川と共に「みやぞの野鳥の池」が整備され,一層住みやすい地域となっている。









2012_0204_090810-DSC06235.jpg南流山(みなみながれやま)
昭和48年(1973)国鉄(現JR)武蔵野線が開通して‘南流山駅’ができたことによってその駅名が町名となった。「木」「流山」「鰭ヶ崎」の各一部ずつを分割して新設された。駅名から町名になったのは,「江戸川台」や今後誕生する「おおたかの森東」がある。現在の「運河」駅は当初は「東深井」となるはずだったらしい。また流鉄の「平和台」駅は当初は「赤城台」だった。









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(き)
〝太い川の際(きわ)〟から由来すると考えられる。域内には「膝丸(ひざまる)村」があった。江戸期から「木村」と称す。水戸街道小金町の助郷村。


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電柱には「南流山6丁目」とあるのに,すぐ近くの道路標識では「木」となっている。
これはおそらく,「木」の表示は地点のピンポイントでの位置ではなく,〝道路のライン〟としての意識から〝ここから先は「木」地区〟を表しているのかもしれない。電柱の位置の方が実際の地名だ。
















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かつては「ミツウロコ」というローカル味のする名前だったが「木」に変わってしまった。マーク⑤
バス車内での案内が“つぎはキ”というのを聞くとなにか物足りない気(キ)がする。
南隣のバス停は「膝丸(ひざまる)」という。これも昔の小字名。



次回は〝漢字1字〟の地名をまとめて紹介します。
すでに扱いましたが,ぜひここでまとめておこうと思います。
お楽しみに!


  1. 2012/09/21(金) 08:00:59|
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流山の地名(9)

シリーズ9回目は「前ケ崎」「名都借」「松ケ丘」「西松ケ丘」「向小金」です。



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前ケ崎(まえがさき)
富士川が坂川に向かう地域にできた集落。谷に突き出た台地の先っぽの地形をサキとかサクと言うところから,〝前方が谷〟を表わす「マエガサキ」となったと考えられる。この台地先端部は小金城主高城氏の中世城郭跡となっている。元弘3(1334)年の銘のある11基の板碑がある。また「マエ」は単純な前後と言うより,寺社の門前や豪族屋敷から見てその前を言うことが多いが,当地では判然としない。前ヶ崎城ができたこととの前後関係は不明。



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名都借(なづかり)
名都借の台地の北側には水田があり,‘水につかった泥田’を〝ナズキ田〟と言ったらしい。また台地の西側には富士川に向かう崖があるが,ある方言で‘崩れること’を〝ナズ〟ということから,崩れやすい土地という意味があるのかもしれない。また‘カリ’は〝刈り〟が普通だが〝切り〟に通じるとして,〝切り取られたような崖〟(切通し)を示すとも考えられる。台地の周囲には七つの谷津があったことから,“七つの谷津[崖=カリ]”から“ナナツカリ”が変化したとも考えられる。泥田と崖地の両方の意味を持つ複合地名としての「ナツカリ」が妥当な意味づけに思える。また室町期から「名都狩」と書いて「ナトカリ」と読んだようだ。しかしなぜ「名」「都」「借」という漢字を充てたのかは不明。〝夏刈り(ナツカリ)〟から出たのではないらしい。台地一帯は中世城郭跡で,土塁跡が残る。昭和46年に西松ヶ丘1丁目,昭和53年には松ヶ丘6丁目,昭和57年には野々下6丁目ができた。【詳細は「楽しい東葛地名辞典」参照】
また「ナトガシムラ」や「名都借り村」の表記もあった。

信号に書かれたローマ字表記では〝Nazukari〟となっているが,表記は〝なづかり〟が正しい。〝なずかり〟ではない。パソコン入力では‘nazukari’でも‘nadukari’でも変換できる。
※「東」が〝あずまAzuma〟か〝あづまAduma〟かにも悩まされる。「東=Azuma」「吾妻or我妻=Aduma」という基準で判断する。「続く」が〝つづく〟で〝つずく〟では変換できない。・・・日本語は難しい[Muzukashii/Mutukashii/Mudukashii]!


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松ケ丘(まつがおか)・西松ケ丘
向小金新田の北半分から昭和36年に成立,昭和53年に名都借の一部を編入して1~6丁目の区割りとなる。「西松ケ丘1丁目」がなぜ〝松ケ丘〇丁目〟とならなかったのだろうか?


2012_0327_103012-DSC07027.jpg向小金(むかいこがね)
中世に小金野の一部が新田開発された。水戸街道の小金町の助郷村。〝カネ〟は〝曲尺(カネジャク)〟に見るように,カギの手に曲がっている所を指す。松戸市の小金が旧水戸街道が直角に曲がっている所に発達した集落でこの名が付いたようだ。その小金に向かい合う形で新田が作られ「向小金新田」となった。〝こ〟は接頭語で大小とは直接関係ない。‘道の曲がった所の集落に向かい合った所’の意。昭和36年に北部の一部が松ヶ丘となる。








  1. 2012/09/20(木) 07:40:57|
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流山の地名(8)

きょうは「流山」「平和台」「西平井」「思井」「」の5か所です。



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2012_0224_102923-DSC06567.jpg 2012_0401_092318-DSC07180.jpg 
流山(ながれやま)
赤城明神を祀る赤城山(標高約15m,比高10m,周囲350m)の存在に由来する。この山の成因は〝群馬県にある赤城山が流れ着いた〟という説は説明として簡潔なゆえに流布しているが,〝太古のむかしにあった台地の一部が海や川に浸食されて小さな山になった〟あるいは〝数千年にわたって洪水で土砂が堆積してできた小山が,川の中洲にあった〟と考えられる,そして〝上流の赤城神社のお札が流れてきたから赤城明神を祀った〟と言われているが実際は上州赤城神社に出向いてお札を頂いてきたのが本当のようだ。この〝小山が水に浮かんで見えた〟時代には,この山があたかも〝流れる山〟のように見えたから名づけられたのであろう。‘ナガルヤマ’とも称したようだ。村内を「宿(しゅく)」「根郷(ねごう)」「馬場(ばんば)」(現在〝番場〟の名称のバス停がある)と区分して呼びならわした。
現在,「流山」と「流山〇丁目」の二通りの字がある。


流山市の発展は,流山・加・木・西平井・鰭ヶ崎・三輪野山の6ヶ村が合併して流山町になり,さらに大きな町にする際に,新川(しんかわ)村・八木(やぎ)村・流山町の3町村が,強く反対しあったために,明治22年に江戸川町となったが,東京の江戸川区と紛らわしかったため昭和27年第二段の合併として流山町となり昭和42年に流山市となった。
新川の由来は“太日川(ふといがわ)が改修されて江戸川となった時,新たにできた江戸川部分を新川と称した”のが正しいらしい。利根運河を指すものではないらしい。
八木の由来は“思井の熊野神社からもらってきたシイの木から8本の枝が出たこと”に由来する。

※ 詳しくは「楽しい東葛伝説民話事典」や「楽しい東葛地名事典」(共に流山市立博物館友の会扁・崙書房¥2800)をご覧ください。


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2012_0201_095227-DSC06172.jpg平和台(へいわだい)
昭和40年,住宅地を造成した会社名〝平和不動産〟から名前を付け,昭和42年流山市制から町名となる。流鉄[総武流山電鉄]の平和台駅は当初「赤城台」だった。「加」・「西平井」の東半分ほどを命名した。はじめは4~5丁目の地域が定まり,昭和48年から1~5丁目となる。1丁目に流山市役所がある。
上の写真ではずいぶん細かい表示になっている。









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平和台4丁目にある平和台2丁目のバス停...間違えなければよいが...
道路を挟んで丁目の境になっているので,道路の東側(4丁目側)でこのようなことが起こる。












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(なか)
古間木と西平井の台地の中間にあるくびれている場所に集落ができたから「ナカ村」と呼んだものらしい。
電柱の巻き広告が見当たらなかったので,信号機とバス停を撮影しました。


2012_0413_131059-DSC07639.jpg西平井(にしひらい)
‘平’は水に浮く水草の象形からでき,山間の平地を表すとされ,‘井’は人の集まる所の意味。‘西’は平地の西側,を表すのだろうか。現在の平和台は西平井の一部だったそうだ。
宅地造成が盛んに行なわれていて,新たな道ができつつある。〝全道踏破〟以降の段階で〝未踏〟の道ができている。地図が完備されていないので,近いうちに自分で道路地図を作ろうと思う。








2012_0320_104057-DSC06908.jpg
思井(おもい)
〝ゆるやか(に開けた丘陵地)〟という意味の「徐(おもむろ)」から「思」を当て,〝人の集まる所〟の意味で「井」(‘市井(しせい)の人’という時の‘井’)を付けたと考えられる。
※『徐(おもむろ)に流れる=流れがゆるやか』から‘思井川’という川が栃木県にある。









  1. 2012/09/19(水) 08:04:17|
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流山の地名(7)

シリーズ7番目は「長崎」「後平井」「前平井」「古間木」「芝崎



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2012_0217_100113-DSC06467.jpg長崎(ながさき)
長崎の‘崎’は陸地が海に向かって細長く突き出た場所,川岸が川に向かって湾曲した場所,山の出っ張った所などを意味する。当地の場合は三つ目の,‘台地と谷が入り込んだ地形’に由来するといわれる。当初「野々下村之枝郷」だった。「長ケ崎」の表記もある。
※『流山にも長崎と北海道がある』と言える。‘北海道’は‘キタカイドウ’と読む。東深井のロクドミチ交差点から北へ延びる道を指す。現在では利根運河によって分断されてしまった。







2012_0401_110239-DSC07271.jpg 2012_0205_105526-DSC06387.jpg
後平井前平井(うしろひらい・まえひらい)
‘平’は水に浮く水草の象形からでき,山間の平地を表すとされ,‘井’は人の集まる所の意味。‘後’は北,‘前’は南,を表すのだろうか。福井県を‘越前’富山県を‘越中’新潟県を‘越後’と呼ぶのは,都[京都]に近い方から‘前・中・後’としたこととは違うのだろうか。現在の平和台は西平井の一部だったそうだ。
※ どこかで〝まえびらい〟と言うのを聞いた気がする。


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古間木(ふるまぎ)
〝古牧〟の転訛,あるいは川や谷,山腹の道などが屈曲している所を〝マキ〟とか〝マク〟と呼ぶことがあることに由来すると考えられる。フルマキではなく,フルマギと濁る。初めてこの地名に接する人は必ず〝こまき〟と言うだろう。そして前々回に紹介した「駒木」と混同するだろう。願わくば電柱の巻き広告に振り仮名を付けてもらえると便利だがなぁ。
※濁音になるのは‘坂’を‘サガ’というようにこの地域の特徴であろう。







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芝崎(しばさき)
芝崎とも柴崎とも書かれたようだ。‘タキギ’の意味なら‘柴’であろう。‘芝’に定着した理由はわからない。









  1. 2012/09/16(日) 07:21:49|
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流山の地名(6)

きょうは「十太夫」「三輪野山」「市野谷」「」「野々下」を訪ねます。



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2012_0303_102538-DSC06639.jpg十太夫(じゅうだゆう)
古文書で1649年に〝主膳儀手代重太夫〟が開創し「十太夫」としたとあることから,この人物の名前が起源であると言えそうだ。その証拠に当初は「重太夫新田」と言ったらしい。近々この地名は一部改名される。以前も「美田」「駒木台」「東初石2~5丁目」と分割されてきて,なお一層分割されそうだ。最近,つくばエクスプレス沿線土地区画整理事業により,新市街地地区(特に流山おおたかの森駅周辺)における字の区域及び名称の変更について,行政区域制度審議会から答申が出され,「おおたかの森東一丁目」などに変更されるようだが,一部は残しておいてほしい。







2012_0209_132328-DSC06390.jpg三輪野山(みわのやま)
大昔江戸川からこの丘陵を眺めた時,大和の国の三輪山に似ていることから命名したようだ。しかし「宮ノ山村」の表記もある。明治2年に「三輪野山村」となった。「三輪ノ山」という表記もある。バス停に「三輪野山」と「三輪の山」があるのは単に同じ表記を避けるためのようだ。奈良県桜井市の神社は「大神(おおみわ)神社」といい,茂呂神社はもとは三輪神社と言った。今でも「三輪茂呂神社」ともいう。
下花輪の地域に‘花輪城址’があるが,そこに祀られたのが‘琵琶首観音’なので花輪城の南に広がる台地を‘びわ⇒みわ’の音転化によったことも作用しているのではないか?(これは私の推測)










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右の写真は見にくくて申し訳ありませんが,付近案内図には「美和1号公園」(下)と「美和2号公園」(上)と書かれている。公園名では「三輪」と「美和」を使い分けているようだ。

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バス停は,京成バスでは「三輪の山」,東武バスでは「三輪野山」と使い分けている。耳で聞いただけでは区別できないので気をつけよう。

市野谷(いちのや)
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2012_0815_093634-DSC09141.jpg市野谷(いちのや)
円東寺の裏方にある水神様の祠に「一谷村」と刻まれているというが未確認。また天神社(市野谷)の境内にある3個の二十貫以上の力石にも「一ノ谷村」と刻まれている。「一」が「市」になったのは,円東寺と天神社の門前に市が立ったことから「市野谷」となったようだ。また「ノ」が「野」になった理由は定かではないが,遠江(とおとうみ;現在の静岡県西部)の代官,市野惣太夫が居住したことから「市野谷」と言われたとも言われる。また「市埜谷」の表記もある。今後,行政区域制度審議会からの答申を受けて,一部が「おおたかの森西・南」「市野谷〇丁目」等に変更されるようだ。
地図でのマーク③は‘力石’のある「天神社」の位置に置きました。
円東寺の南の「天神社(53)」境内にある〝力石〟。『市ノ谷村』と刻んであるのがわかる。
重さはよく見えないのだが,20貫としても75kgだ。持ちにくそうな石だが,これを持ち上げて力自慢をしたのか!







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(か)
桑原(くわはら)から桑村(くわむら)になり〝クヮ〟から〝カ〟に転じたと考えられる。またクワは‘崩れた崖’を表わすとの考えもある。「賀村」「嘉村」の表記もある。
左上の‘郵便局’の画像には,見にくいですが,左手にバス停‘加台郵便局前’,郵便局の名称に‘流山加台郵便局’となっている。地元では‘加台’と言っているようだ。これに対して江戸川近くの地域を‘加岸(かぎし)’と言っている。
※ 漢字一字の地名はこのシリーズ最後にまとめます。


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野々下(ののした)
小金牧の南側を指して‘野の南[下]’としたようだ。











  1. 2012/09/15(土) 08:56:03|
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