写真でつづる流山の道 2013年07月

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

流山発見;危険な道路(2)

「危険な道路」シリーズ2回目のきょうは,2か所紹介します。まず,マーク①江戸川台東1丁目と東初石1丁目の境を接する道路です。車で通っても,歩いても,危ない道路です。
次は,マーク②後平井(うしろひらい)の県道278号線にある,数メートルの間の危険個所です。

地図はズームアップしてください。


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この先には信号があって,渋滞する所ですが,停車中の車の脇を通るのはたいへんです。路側帯からはみでているのでもわかるように,雨の日などは車も人も神経を使います。
 マーク①









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右端に見える建物が道路ギリギリに迫っています。その下に雑草が生えていて,車道に出て歩かざるを得ません。
なんとかして!
 マーク②

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  1. 2013/07/31(水) 07:54:37|
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流山発見;危険な道路(1)

当ブログは開設2周年を迎えました!
新たな3年目に向けて,「写真でつづる流山」を続けます。よろしく!

「流山発見」シリーズ,今日からは「危険な道路」というテーマで流山を見ていきます。
ブログ発表のコンセプトは‘道から見える風景’なので,道にこだわっています。




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東武野田線運河駅近くの流山街道の様子です。歩行者が車に押しのけられています。 マーク①
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運河駅が‘橋上駅舎’になり,東口ができるので,今年の年末からは,このような風景は減ると思われます。
それにしても,右端のブロック塀とその下にあるコンクリートの出っ張りはなんとかなりませんかね。


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歩行者は,すれ違う時,完全に車道に出ます。  大型車が来ると,思わず立ち止まってしまいます。

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運河駅は右手にあるので,こちら側を歩く人が多いです。
反対側は,歩道ではありませんが,駐車スペースがあったりして,比較的歩きやすいです。

マーク①の少し南
  1. 2013/07/30(火) 08:01:39|
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流山発見;日光東往還(20)

流山市を縦断する「日光東往還」の紹介は今日で終わります。野田市から先もいずれ歩きたいです。
シリーズ最後に,ここまでのコースを地図で示します(記事の最後)。スクロールして見てください。




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「駒形神社」を通ります。マーク①「駒形神社の由来」をどうぞ:
かつてこの一帯には、官営の野馬放牧場である小金牧が設置されており、
古より緑豊かな良馬の産地として知られておりました。
御社伝によりますと、八幡太郎源義家公が奥州出陣の折りに立ち寄られ、
愛馬を繋ぎ憩われたとされる椋(むく)の木の後裔が鳥居左手に残されております。
誉田別尊(ほんだわけのみこと)を御祭神として御祀り申し上げます
駒形神社が御創建されたのは応永六(西暦一三九九)年九月二十九日
のことと伝えております。以来六百有余年に亘り、駒形神社の大神様は
地域の産土神様として氏子崇敬者の人々の厚い敬神の念を受け、
その御神威、御神徳を今日に伝えております。
   平成十三年 元旦


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運河駅前を通ります。もうこの風景は見られません。現在駅舎改築工事が進んでいて,ここの右手に新しくできた“西口”から“橋上駅舎・自由通路”を通って,“東口”に出られるようになります。東口が完成するのは2013年11月だそうです。完成したら,「運河駅のbefore & after」を紹介します。
その先「運河橋」を渡ります。


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「運河橋」はもちろん明治23年まではありませんでした。それまでは‘地続き’だったのです。
「土木遺産」にもなっている「利根運河」の工事を想像しながら渡りましょう。


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左写真の左隅に「(ここから)流山市」の標識が見えますか?ここが流山市と野田市との境になります。マーク②
今回の「日光東往還」の旅はここで終わりとします。まだ野田市へと続きますが,いずれ歩きます。
東武野田線は運河駅から北は単線となります。


2013_0503_091931-DSC01562 パノラマ写真
運河橋の全景。ここには3本の橋が架かっています。重なって見えますが,手前が「運河橋」,その奥が「野田線の鉄橋」,3本目がアーチ型の,歩行者・自転車専用の「ふれあい橋」。遠くから見ると,アーチが流山橋に見ます。“借景”ということにしておきましょう。


柏市域から流山市域の「日光東往還」全コース


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  1. 2013/07/18(木) 08:14:42|
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流山発見;日光東往還(19)

「日光東往還」を北上してきました。東深井にある「旧日光街道」という名称の「流山100か所めぐりNo.9」のポイントを見てみましょう。



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その手前にはこんな風景があります。
道路に覆いかぶさる大木と,その下には「屋敷神」が祀られています。
















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この信号が「東深井中入口」で交差するのは現在の流山街道です。「往還」は直進です。
右の写真では,「往還」は左奥へと入っていきます。


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道端に「浅間大神」の石碑と,新四国霊場第五十二番の祠があります。

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いよいよクランクに差し掛かりました。マーク①
左角には「八坂神社」,突き当たりが「100か所めぐり」のポイントになります。


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解説板がへんな具合に曲がっています。支柱も下の方が曲がっています。いたずらでしょうか。
この一角には,「伊勢 代々御神楽」と彫られた石碑や「武蔵國號社 御岳山社稷(しゃしょく)神」(五穀の神)の碑,そしていくつかの「馬頭観音」があります。


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解説板には「成田山と刻まれた道標」とありますが,この場所と成田山との道筋がわかりにくいです。成田山へ行くにはもっと南の街道を行くと思うのですが...
いずれにしても,200年以上前は,周りは原野か林,あるいは農家が点在する耕作地だったと想像します。このクランクは街道筋ではランドマーク的な場所だったのでしょう。


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突き当たりを右(東)へ曲がります。そしてすぐ,流山街道に出る寸前に左(北)へ曲がります。
右の写真では,右が流山街道,左が往還。
【ここでの右左は,往還を北へ進んでいる状況での説明です。南へ進む場合は逆です】


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突き当たりになるのでまた右折。すると流山街道に出ます。
地図で確認してください。


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2013_0503_090518-DSC01551.jpg流山街道に出てすぐの所に青面金剛と彫られた「道標」があり,南面に“左 の田 きの﨑 みち”,北面に“右 なり田 (判読不可)”とあります。マーク②
旅人が立つ場所で,東西と左右の位置関係はどうなっているのでしょうか?いまいちわかりません。
先ほどの「成田山」は北の方から来た人に対しての道標だったようです。北から南へ向かうと「成田山」への方角になります。・・・とはいっても,現代人には,この場所からは『野田は北,成田は南』と言うでしょうね。
イヤ,ちょっと待って!・・・後世の人が,道路工事の際に据え替えて,昔と違う方角に設置したのではないか?・・・謎は残ります。


【聞きかじり】
江戸時代は,『東のことを左,西のことを右』と言っていたと聞きました。京の都で,『天皇は南を向いていたので,右手が西,左手が東』だというのですが...それに加えて,関西では『絶対的な地理的の東西南北』よりも『自分のいる場所から見て進行方向に向かって右か左かを判断する』ということも聞きかじりました。交通関係の地図では必ずしも北が上になっていないらしいです。古(いにしえ)の人たちはどうやって道を教えていたのでしょう?








  1. 2013/07/13(土) 09:05:12|
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流山発見;日光東往還(18)

「日光東往還」も2里ほど進みました。東武野田線の江戸川台駅西口は開発時に往還はなくなったようです。おおたかの森駅周辺と同じく,家々の間を突っ切ります。



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2013_0502_144955-DSC01505 パノラマ写真
江戸川台駅西口前に来ました。最近整備されてきれいになりました。
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駅入り口(左)           駅前の京葉銀行の建物(右)を突っ切って「往還」が通っていたのかもしれません。

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京葉銀行を回り込んだ,望月医院の角が,どうやら「往還」のようです。
その先は道路を挟んで「江戸川台1号公園」にぶつかりますが,この辺に二つ目の〝一里塚〟があったはずです。


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一号公園を左折すると,丁字路のような交差点。アレッ,クランクになっている!
信号を右折します。


2013_0502_145844-DSC01514.jpg右折するとこの風景。北へ1km進むと「流山街道」にぶつかり,そこには「流山100か所めぐりNo.9」の「旧日光街道」の標識のある場所に着きます。

下のパノラマ写真では,右奥から来て,左奥に曲がる所〝クランク〟です。
けっこうカクカク曲がる街道なのですね...










2013_0502_145914-DSC01515 パノラマ写真

  1. 2013/07/10(水) 08:55:48|
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流山発見;緊急報告

緊急報告!
2013年4月23日に投稿した当ブログ記事に関して,新事実が判明したのでお知らせします。
「川と橋」シリーズの中で,坂川に架かる「御體𣘺[橋]」の読み方がわかりました。
なんと「おもいばし」です!
「御」は「ご」か「お」,「體」は「たい」「てい」という読みにこだわっていたのでした。もっとも,草書体が読めていればなんてことなかったのですが・・・それにしても〝日本語が読めない〟ことは苦しいです。
〝ごていばし〟よさようなら!
判明したのは,「東葛流山研究・第12号(平成5年11月発行)」にある,青木更吉氏による「坂川とその流域レポート」を読んだからです。なぜ「おもい」と読むのかの説明はなかったのですが,まさに〝目からうろこ〟状態です。
「御水」と書いて「おもい」と読むそうですが,これは飲み水をいう女房言葉だそうです。「水」だけでも「もい」と読みます。お椀など水を盛る食器も「もい」ということがわかりました。この連想で『水を包んでいる器としての体』=『もい』,と強引に理解しています。詳しくご存知の方,ぜひ教えてください。
なお,草書体(草がな字体)は『於⇔お,母⇔も,以⇔い』となります。


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  1. 2013/07/08(月) 07:53:05|
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流山発見;日光東往還(17)

東武野田線に沿うようにして進んできた「日光東往還」は,江戸川台駅に近づきました。



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正面へ行くと江戸川台駅です。すぐ右手に踏切があります。マーク①
「往還」はここで小さなクランクを作っていたようです。
まっすぐ行かずに,左に曲がります。


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曲がった所を反対側から見ました。そして右の画像。右手奥が踏切で,左手の角を曲がります。マーク②

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細い道が住宅の間を抜けています。「流山のむかし」掲載の地図を見ると,どうやらこれが「往還」のようです。











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江戸川台駅が見えてくる所,駅を挟んで北と南に700mくらいにわたってある‘松並木’,これが「往還」かと思いたいのですが,どうも違うようです。(右の画像に江戸川台駅のホームが見えます)
それにしても,なかなか立派な松の木です。

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  1. 2013/07/07(日) 07:57:45|
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流山発見;日光東往還(16)

「日光東往還」を北へ進んで,一里塚を過ぎ,二つ目の一里塚が近くなった頃,現在でもはっきり残っている〝クランク〟があります。車で通ると『危ない!なんだこのカーブは!教習所のクランクだ!』と感じる場所です。大きなトラックも通る道路なので,すれ違う時は要注意です。いろいろな角度の写真をお見せしますが,是非現地に足をはこんでください。
南側は西初石一丁目,北側は江戸川台西三丁目になります。




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南側から撮った風景。左角のブロック塀に車が吸い込まれて行く。

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センターラインをはみ出したら危険です。

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少し東側から見たところ。右端に見える車は駐車場内の車です。

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北側から見たところ。90°のクランクがわかるでしょう。

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クランクの西側から見たところ。東武野田線の踏切が近いです。

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正面と右から来る道路は,以前はもっと細い道でした。今では〝四つ角〟になっていますが,黄色のセンターラインのある道路が「往還」です。








  1. 2013/07/05(金) 08:17:57|
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流山発見;日光東往還(15)

「日光東往還」が常磐自動車道と交わる所に「日光街道大橋」があります。ふたかけ公園の「日光橋公園」もあります。「日光街道」という名称は6号線との交差点の「旧日光街道入口」に次いで二つ目です。流山と日光とのつながりを実感する場所です。



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「日光橋公園」は三角形の土地で他に利用方法がなかったのでしょう,公園としています。ちょっとした休憩地にはなります。









  1. 2013/07/02(火) 07:37:16|
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