写真でつづる流山の道 2014年12月

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

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流山発見:横丁

横丁を歩いています。


きょうの横丁は,「このはな幼稚園」に突き当たるようなカギ型に曲がっている細い道です。

ちょっと江戸川堤の方をのぞいてみましょう。本町通り沿いからはこのような風景があちこちで見られます。
このような風景を見て,あなたならどう考えますか?『ナーンダ,突き当たりか。戻ろう』か,『あの土手の向こうには何があるんだろう。行ってみよう』か。

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本町通り,かつての流山街道・県道から東方向を見た横丁。
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右横に見える「見世蔵・旧寺田園茶舗」がこれ。明治22年築で国登録有形文化財になっています。
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この横丁の中ほどにこんなものがあります。電信柱が通りの真ん中に!
どうゆう事情かわかりません・・・左右どちらかの敷地を通りとして提供したためでしょうか。
















中道の方から見るとこんな風景。突き当たりに「このはな幼稚園」がありますが,正面入り口は本町通りに面しています。
そこでこの横丁に勝手に命名です。〝このはな横丁〟・・・いいでしょう!
イヤ,〝見世蔵横丁〟の方がいいかな・・・あなたならどうする?

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  1. 2014/12/30(火) 07:30:53|
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流山発見:横丁

流山駅前通りの一本南の横丁が「エンマ堂横丁」です。「エンマ」を漢字で書くと「閻魔」ですが,当ブログでは小さくて見にくいのでカタカナで書きます。


拡大して「閻魔堂」を探してください。
まずは横丁の紹介から・・・
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「中政」というウナギ屋さん(右)の角を入ると「エンマ堂横丁」です。この名称は,伊藤晃氏の「閻魔堂横丁」という短編小説(文庫版全14ページ;北総文庫1;北総四季社1966)にもなっているほど一般的な名称です。
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横丁の中ほどにある,昭和レトロな住宅風建物の中にエンマ大王様がいるのです!
安永五年(1776)に造られた木造です。いつもはガラス戸越で見にくいのですが,土日は開いていることが多いです。

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金子市之丞(かねこいちのじょう)と三千歳(みちとせ)の墓所。歌舞伎で人気を博した登場人物が流山の人だったそうです。三千歳の方の来歴等はまゆつば物ですが,なんとなく様になっています。
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「近藤勇陣屋跡」です。近藤勇と土方歳三率いる隊士227名が2日間だけ〝陣屋〟を置いた場所です。事実上の新選組消滅の場所,近藤と土方の永遠の離別の地となっています。
このエンマ堂横丁を近藤・土方が歩いたと思うと自分が歴史の舞台に立っているような気がします。


  1. 2014/12/27(土) 08:07:44|
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流山発見:横丁

流山本町横丁探訪。きょうは流山駅前です。


流山駅から西に延びる道が「駅前通り」です。
この道も抜けられますが,ほぼ私道ですので,歩くのはお勧めしません。
間違って入ってしまっても,先には流山駅前の大きめの通りに出ます。

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この通りの正面奥に「流鉄流山線」の「流山駅」があります。
繁華街ではありませんがレッキとした〝流山1丁目・駅前通り〟です。

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正面の森は「飛地山(とびちやま)」で,左手には市役所庁舎があります。
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チョット流山駅に立ち寄ってみましょう。〝昭和レトロ〟感覚が伝わるたたずまいですね。
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残念ながら〝駅前通り〟らしくありません。現在の流山街道(県道)ができてからは商店が移ってしまったのです。
目隠しされてここへ連れてこられたら迷子になるでしょうね。
正面のビルが建っている場所には,かつて浅見平兵衛氏の醤油醸造工場がありました。

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  1. 2014/12/24(水) 07:35:13|
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流山発見;横丁

流山本町の〝旧本通り〟と〝中道(裏道)〟を結ぶ「横丁」を紹介しています。



今日は地図上の「浅間神社」の東にある横丁です。

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オヤ?これは浅間神社の入り口ではないですか。横丁は?・・・・・・実はこの後ろは,下の画像のようになっています。2014_1130_113043-DSC06358.jpg
名付けて「浅間横丁」!そう,本通りから見えた浅間神社の社殿の裏にこの横丁があるのです。奥に見える木立は「富士塚」です。詳しくは当ブログ《2014年4月・9月》などをご覧ください。

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浅間神社の社殿裏にある「富士塚」のながめは〝北口〟登山道ですが,こちらは〝南側=静岡県側〟から〝富士山〟をながめたところです。





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中道を歩いていても,真横を向かないと目にとまりません。それほど細く目立たない横丁です。
自転車では入らない方がいいです。向こうから人が来るとすれ違えません。
また雨の日はすれ違いに十分気を配りましょう。


  1. 2014/12/16(火) 07:26:12|
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流山発見:横丁

流山本町界隈の〝横丁〟を歩きます。
前回紹介した「流山広小路」と「ヤッカラ横丁」から,南へと進みます。
地図を拡大して「千疋屋」を探してください。そこの通りの一本南側の通りを歩きます。




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左角には「笹屋寝具店」がある。私だけが命名している「笹屋横丁」です。
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横丁の東入口角には「稲荷社」が祀られている。初午の日にはお供えをする。
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横丁にはこんな蔵がそびえている。カフェ「灯環」として営業中。
100年の歴史を感じながらいただくコーヒーはまた格別です。
階段横には次のような解説板が掲げられている。

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『笹屋の土蔵:「笹屋」は江戸末期の万延元年(1860年)の創業である。初代田上岩吉(たがみ・いわきち)は日本橋「越後屋」(後の三越)の仕立て屋「笹屋」ののれん分けで、当時流山で隆盛を誇った大棚の呉服店「三河屋」の仕立てを請ける。この蔵は明治31年(1898)三河屋から移築したものである。流山本町において現存する最古の土蔵の一つである。現在「笹屋」は五代目が寝具店を営み創業百五十有余年となる。上部梁には左記の墨書がある。
上棟 明治三拾壱年 四月廿二日 田上岩吉 建立』

  1. 2014/12/10(水) 06:43:09|
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流山発見;横丁

流山本町界隈には江戸川に並行して,3本の通りがあります。江戸川に近い通りを「本町通り」と呼び,流山が発展した「流山街道旧道」です。その東側に並行している道を「中道」とか「中通り」と言い,その東側に昭和になって新たに造られた「新県道」が現在の「流山街道」です。「新県道」もいまでは〝主要地方道〟に格下げされています。
今回は,これらの道を東西に結ぶ「小路・横丁」をご紹介します。「○○横丁」と名前が付いた横丁もあります。流山本町界隈を歩く時,この「横丁」をぜひ通っていただきたいと思います。このような細道の魅力は,〝立ち入る時のワクワク感〟と〝抜けた時の新たな風景〟に小さな驚きを感じることでしょう。ジグザグに櫛の歯状に歩くと,流山の街歩きが二倍楽しめます。



【地図を拡大して,「流山駅」を中央下に置き,「千疋屋」を探してください。そこの西の信号が「広小路」です。
「ヤッカラ横丁」はその北,「中野屋豆富店」の南にある道です。】

地図にマーク等が入らないので,以後言葉で説明していきます。

「横丁歩き」の出発点は「広小路」交差点。広い三叉路で,画像の正面に(東に向かって)延びる通りはかつては「諏訪道」と呼ばれた,諏訪神社への参詣の道でした。人々の行き交いはなくなりましたが,様々な人間模様が繰り広げられてきたことでしょう。正面の坂は「大坂」と言い,地元の人は「おおさが」と(語頭の「お」を高く)呼びます。またその左右(南北)に広がる台地は,明治初期に葛飾県・印旛県の県庁が置かれ,裁判所もあった所です。「千葉県」が誕生するまではこの地域の政治の中心だったわけです。現在では流山市役所や図書館・博物館が座を占めています。(それぞれの施設に行くには坂を上らなくてはなりません。年寄りには正直キツイです!)

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最初の「横丁」は,江戸川にあった「加村の渡し」(「矢河原(ヤッカラ)の渡し」とも)に通じる小道です。角の「灯り館・彩(いろどり)」のお店は,美濃和紙を使った照明器具のお店です。最近〝ユネスコの登録無形文化遺産〟になったことから,多くの人が訪れています。近藤勇が土方歳三と永遠の別れをした時,板橋へ向かった道という説があります。道の奥にこんもりした高い場所が見えますが,それが江戸川土手です。明治初期にはこの位置から江戸川の水が見えたかもしれません。
独断と偏見でこの小路に名前を付けます・・・〝ヤッカラ横丁〟・・・街で聞いても誰も知りません。私が今命名したのですから。

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  1. 2014/12/02(火) 06:33:33|
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