写真でつづる流山の道 (20)福性寺
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写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

(20)福性寺

「流山新100か所めぐり」第20《TOP30-30》福性寺

野田線江戸川台駅から西へ20分ほど歩くところにある。畑と住宅が共存するのどかな一帯だ。江戸川から立ち上がっている台地上にある。“流山七福神”の毘沙門天を祀る。

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〝ぼけ封じ〟という言葉がまだ生きている。〝認知症封じ〟ではどうも・・・



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福性寺縁起
 開創縁起は不詳。天保年間中興とす。
 本尊は大日如来、飛地境内は仙適坊・観音坊がある。仙適坊の本尊様は、阿弥陀如来両脇侍像(高さ1m位、江戸時代の作)であったが貴重な仏像なので現在は本堂に移されている。
 観音坊には、観音様がまつられていて、周辺住民の信仰を仰いでいる。明治の末期には大変栄えた弁天信仰(鎌倉八幡宮の灰で練って造られ、お逗子に入った江戸時代の作)であったがその後は面影もなく寺は荒れ果てた。
 昭和六十年流山七福神が発足し毘沙門天が境内に安置されている。七福神の起源は「仁王般若経」の「七難即滅・七福即生・万世安楽・帝王歓喜」の語によるといわれています。
 毘沙門天の福徳は開運招福、七難即滅にあります。昭和六十一年より、ぼけ封じ関東三十三観音霊場第八番札所となる。
 初代中興の祖勝又俊弘昭和十七年千葉市に生れ、のち廣徳院俊教の室に入る。(父俊教は真言宗長者、真言宗豊山派第二十五世管長、総本山長谷寺第七十九世化主)昭和四十八年流山市福性寺住職となり庫裡客殿の建設本堂の増築等を手がけ再建の礎を築きまた宗務所に勤務檀信徒教化寺門興隆に努めた。
 昭和六十一年六月九日 遷化世寿四十三才。
 鐘楼堂建立の計画は中興俊弘の代からの決議であったが俊弘遷化の為一時中断されていた。平成六年檀信徒からの強い要請により再び建立の計画が持ち上がった。同年から計画を進め遂に平成八年念願の鐘楼堂が檀信徒一同の協力により建立された。またこの事業は興教大師九百年御生誕の記念とされた。
          興教大師九百年御生誕記念
          中興第一世俊弘和尚十三回忌記念
                 薬法山福性寺檀信徒一同


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イチョウの保存樹木と祠



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  1. 2012/01/08(日) 08:31:17|
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