写真でつづる流山の道 (24)野馬除土手跡《江戸川台》

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

(24)野馬除土手跡《江戸川台》

「流山新100か所めぐり」第24番(TOP30-23)「野馬除土手跡」《江戸川台》

第93番でも同じ名称のものを紹介しますが,市内に7~8か所ある「野馬除け土手」とか「野馬土手」と呼ばれる〝構築物・土塁〟です。私が実踏した箇所が7~8か所ですが,本格的な調査ではもっと多いと言われています。当ブログでは「100か所めぐり」に認定されている2か所の他に5~6か所紹介します。
「野馬土手」なるものが何なのか,第93番の場所に設置されている説明板を便宜上ここで紹介させていただきます。また詳しく知りたい方は次の図書があります。青木更吉著「野馬土手は泣いている・小金牧」「続野馬土手は泣いている・佐倉牧」,おのつよし著「流山のむかし」いずれも崙書房刊。


2010_0802_0937前ヶ崎 DSC00474.jpg

野馬土手
 野馬土手は、一般的に「野馬除土手」とも「野馬堀」ともいわれており、野馬が牧外に出て民家に侵入したり、田畑の作物を荒すのを防ぐために作られたもので、土手と堀の部分から成っております。
 土手の高さは約二メートルから三メートル位、堀はV字型に掘られ深さは二メートルないし三メートル、幅は上部で約三メートルほどあり、低い土手と高い土手の二重に作られたものが多く、低い土手は馬の脚を痛めないようになだらかになっています。
 野馬の育成や増殖は自然に任せていましたが、将軍家などの乗用馬は、牧の中に土手を二重に作り、この中に放ち、保護と秀馬の増殖に努めていました。これを御放馬囲いといい、この区切りの土手を、お囲い土手といっていました。下総地方牧開発の歴史は律令時代にさかのぼることが出来ます。
 延喜式(平安時代初期につくられた法典集)には下総、高津(現多古町周辺)、本島(不明)、長州(現茨城県猿島町周辺)、浮島(現墨田区周辺)、大結(現船橋市周辺)の各馬牛牧があげられています。
 時代も下って武家時代に入ってからは軍馬の牧養地、供給地として利用されました。
 江戸時代の慶長十九年(1614)幕府はこの地に小金牧佐倉牧を設けています。この頃から牧場の仕事も本格的になって来ています。これらの仕事をする人々は「牧士」、「牧士見習」などといわれており、野馬土手や捕込(とっこめ=馬を追い込むために作られた特別の場所)やその他、牧に関する様々な仕事をしていました。
 下総台地一帯の牧は、船橋方面から野田方面にかけて広がり、土手は谷に沿い林を横切り、人家を囲うようにして走り、それはまるで小型の万里の長城のようです。
 市内における野馬土手は、平方原新田、上新宿、十太夫、大畔、駒木、駒木台、初石、松ヶ丘、野々下、市野谷などにも見られます。
                          流山市教育委員会

                                       ※適宜句読点を補いました


下の5枚の写真は,江戸川台福祉会館(江戸川台稲荷神社の隣)の敷地に延びる「野馬土手」。道路部分で切られているのがよくわかります。通行人の身長から高さも2メートル弱であることもわかります。説明板の位置から100mほど北に当たります。説明板をここに設置した方が多くの人に知られると思うのですが。
2011_0320_125427-DSC02382.jpg 2011_0320_125301-DSC02377.jpg

2011_0320_125320-DSC02378 パノラマ写真・野馬土手

2011_0320_145606-DSC02389.jpg 2011_0526_160449-DSC03041.jpg

近くに寄ってみると・・・同じ場所で,左6月,右3月に撮影。
2010_0618_1030江戸川台福祉会館 (2) 2011_0320_125242-DSC02376.jpg

位置を変えて撮影。作られた当初は,もっとそそり立つような形だったことでしょう。それにしても木の柵ではなく,土を盛って土手を作るとは,大変な作業だったことでしょう。
2010_0618_1030江戸川台福祉会館 (3) 2010_0618_1030江戸川台福祉会館

福祉会館のグラウンド沿いに延びている。右にかけて次第に低くなっていて,駐車場のあたりで消滅しているのがわかります。
2010_0618_1028江戸川台福祉会館 パノラマ写真

京和ガスと浄水場の敷地に沿って南へ延びていき,「江戸川台4号緑地」へつながっている。
DSC00475江戸川台 DSC00476江戸川台

住宅と接する部分です。もともと“野馬掘”であったであろう箇所が排水路になっています。土手を作る時,堀に当たる所の掘った土を土手上に重ねていったそうだ。
DSC00477江戸川台 DSC00478江戸川台

南へ行くにしたがって低くなり,言われなければ気が付かない程の規模になっている。
2012_0104_101745-DSC05409.jpg 2012_0104_102225-DSC05413.jpg

パノラマ写真失敗!2枚つなげて見てください。奥左右方向に土手が延びているのですが・・・
2012_0104_101935-DSC05411.jpg 2012_0104_101940-DSC05412.jpg

車道に出るあたりで高さは1メートルもない。
2012_0104_101658-DSC05408.jpg 2012_0104_101410-DSC05405.jpg

2012_0104_101509-DSC05406.jpg 2012_0104_101544-DSC05407.jpg

ここが南の端。ここで「野馬土手」は消滅している。馬と人間の営みもこれで終わっている。上の説明板では220メートルとなっているが,この消滅寸前の端まで入れると全長400メートルはある。
2012_0104_101258-DSC05403.jpg 2012_0104_101326-DSC05404.jpg

独自に推測しながら実踏した他の「野馬土手」を次回に紹介します。

スポンサーサイト
  1. 2012/01/12(木) 08:29:57|
  2. ブログ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<(24-a)野馬土手 | ホーム | (23)江戸川台稲荷神社>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://nagareyamamichi.blog.fc2.com/tb.php/122-683f2996
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。