写真でつづる流山の道 (40)花輪城跡

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

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(40)花輪城跡

「流山新100か所めぐり」第40番「花輪城跡(花輪城址公園)」

地図は前回の「No.39白狐稲荷」のページを参照してください。

流山街道を南から辿ってくると,この地点で台地に上がっていく。マクドナルドと東葛病院があり,消防署から東に行くと流山警察署がある。流山の安全を守る生活の中心と言えそうだ。

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2008年12月の時(左)と,2011年6月の時(右)とでは,番号のペイントが薄くなっている。維持管理は大変だろうな。
 
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いつも不思議に思うのだが,〝文学の散歩道〟って・・・特に文学について言及していないように思えるのだが・・・ここでは〝朝寝坊の観音様〟の民話かな?

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‘琵琶山観音堂’の遺構。












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昨年の東日本大震災の影響で,2012(平成24)年1月現在,立ち入りが制限されている。

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『琵琶山観音奉祀之跡』
『本尊聖観世音御尊像は西円寺西福寺両山合寺建立の桐谷山西栄寺境内に造堂奉遷す 現住秀澄識』
『維時 昭和五十五年三月廿九日』




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2012_0110_092128-DSC05604.jpg 花輪城跡・琵琶首観音堂跡
花輪城は、市内では深井城・前ヶ崎城・名都借城とともに存在した、中世城郭の一つです。十六世紀戦国期に松戸市小金の大谷口城を本拠地として、周辺一帯を支配していた高城氏に属する城でした。北を除く三方を急な斜面に囲まれた細長い台地は、天然の要害といえます。発掘調査により、台地を東西に区切る深さ三メートルの空堀と土橋が発見され、二つ以上の郭(くるわ)が連続する城郭形態(直線連郭式)の一部が明らかになりました。花輪城は高城氏が滅亡した十六世紀末には、その役割を終えたと考えられています。
琵琶首観音堂は、かつて県道付近に本堂があった、真言宗西福寺境内の観音堂です。解体前に行なわれた調査によれば、十七世紀前半の建築様式を持つものであることがわかりました。茅葺ながらも三間堂であり、その規模や内部の装飾は当地の経済性の高さを推測させるものです。地域の信仰を集めた本尊は、「朝寝坊の観音」と呼ばれる等身大の観世音菩薩立像(天文八年銘 一五三九年)で、現在は市内桐ヶ谷の西栄寺に安置されています。
公園内に保存整備された、花輪城の空堀と観音堂の基壇・礎石が当地の長い歴史を物語っています。
【No.37西栄寺参照】
「琵琶首観音」民話(「100カ所めぐりガイドブック」から要約)
『村はずれに伝松と半六という者が住んでいた。二人とも怠け者で,羽口の渡しへ行って船の下仕事で小遣いを取っていた。でも家でゴロゴロしている方が多かった。その二人が観音様の夜参りが好きだった。そこではお供え物のおこぼれが頂戴できるからだった。ある日観音様の前でたらふくごちそうを食べ,お酒もたっぷり飲んで,観音様相手におおいに酒盛りが始まった。そのうち二人はご機嫌になり,踊り始めた。ひょうきんな歌と踊りに観音様もついこらえきれずに笑ってしまった。一緒にお酒を飲んだ観音様は,そのうちウトウトとなった。ハッと目を覚ますと,すでに陽は高く昇っていた。「そうだ!今日は天上界で観音様の会議がある日だ!」あわてて天上界に駆けつけた時にはすでに遅刻していた。伝松と半六の二人は以後真面目に働くようになった,と。』



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二等三角点:手持ちのGPSによる測定 = 北緯35°52′4.8″  東経139°54′11.8″
標高は地図によると16.3m。


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‘山’の下には広場があり,お花見やちょっとしたイベントには手ごろなスペースだ。













2012_0209_132104-DSC06389.jpg 花輪城跡の遠景・全景

左の写真は,南東側にある美和2号公園からの眺め。

下左は,流山街道沿いの消防署前から北を見たところ。左手がマクドナルドと東葛病院。

下右は,北千葉浄水場北側の高台から見たところ。右手に東葛病院の建物の一部が見える。

これらの写真を見ると,縄文時代にはこの高台の下まで海で,岬が海に突き出ている格好であることがわかる。その後,南からの陽光を受け,目の前に広がる台地を眺めて観音様を祀った当時の人々の心がわかる。




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  1. 2012/02/13(月) 08:53:44|
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