写真でつづる流山の道 (42)天神社 《大畔》

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

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(42)天神社 《大畔》

「流山新100か所めぐり」第42番「天神社」 《大畔(おおぐろ)》

市内には「天神社」は大畔・市野谷・後平井の3か所にある。順次紹介します。


次の地図では今回の「No.42;天神社」のみ示します。


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社標は「天満宮」,地図では「天満天神社」となっている。通称として“宮”は畏れ多いとして“神社”としたのかもしれない。
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“江戸川八十八か所霊場 第八番札所”

DSC00825.jpg 「梅の図」絵馬
流山市指定有形民俗文化財第五号
 天神社は、学問の神様とされる菅原道真を祀り、道真が親しんだ梅がシンボルとなっています。
 梅の古木を描いた大畔天神社の絵馬は、文化十五年(一八一八)一月二十五日に、福富宗直が願主となり、門弟(弟子)四十名が名を連ね、学問の成就を祈願して奉納されたものです。
 門弟は、三輪野山・下花輪・桐ヶ谷・上新宿・北小屋など近隣の村々にもいたことがわかりますが、師匠とみられる福富氏についてはよくわかっていません。
 絵馬としては市内で最も古い年代が記されており、縦八十一センチ、横百五十二センチと大きく、描かれた梅の図も見事です。また江戸時代の教育を知る上で貴重な資料といえます。
                                                流山市教育委員会


2011_0906_084108-DSC03950.jpg 敬神【篆書】
社殿改築記念之碑
古代の遺跡の多い流山周辺特に上貝塚の貝殻畑、又上新宿、北小屋まで入江であった谷津田の奥の貝殻畑物捨場跡等遺跡の多い新川地区の丘陵と谷津田一つ隔てた大畔、初石台地は新川の飛地の感のする、大畔邑は徳川時代旗本、永田豊後守の所領で如何に古く開けた土地であるか知る事が出来ます その邑の鎮守天神社(嘉永六年)改築も古い時代から鎮座したものと拝察します 以来氏子崇敬者達は敬神の念厚く神社と共に活きてきました そして部落の今日の発展をみる事ができました しかるに終戰後三十二年平和な生活を続けられる今日鎮守の御神徳を偲ぶにつけ氏子一同の心は誰言うことなく古びた社殿を見るにつけ改築をし報恩の一端を表すことこそ 考えてはいても果す事の出来なかった古人の意思にもそうのではないかと一同の意見の一致をみ 此処に浄財の寄附によって改築をみました
此の事は現代のうすれゆく敬神崇祖の美風を子孫に傳え ひいては郷土の発展と国家の隆昌につながる事と信じ 之を祈誓し記念とします
   宮司 宮崎敬司 撰文

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  1. 2012/02/16(木) 13:41:59|
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