写真でつづる流山の道 (56)愛染堂

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

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(56)愛染堂

「流山新100か所めぐり」第56番「愛染堂

地図上の位置は工事・移転前のものです。現在は北方向に100mほど移動しています。


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旧長福寺のお堂で,愛染明王を安置しています。TX沿線の造成工事の影響で,少し移動しましたが,お堂が新築されました。現在まだ周囲は道路建造中で,殺伐とした風景になっています。
愛染明王坐像の解体修復が完了した際,博物館で展示されました。平成23年6月1日発行の「広報ながれやま」で紹介されました。
ここで掲載する写真は,NPO流山史跡ガイドの会主催のツアーに参加した時のものと,その後自分で再訪した時のものです。最期の数枚は2010年1月13日に初めて訪れた時のものです。


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2011_1206_101718-DSC04943.jpg 木造愛染明王坐像(旧長福寺)            流山市指定有形文化財第四号
 愛染明王は、人間の断ち難い煩悩ですら悟りにつながるという教え「煩悩即菩提」の本尊で、忿怒の相と持物によって愛欲などの煩悩を浄化させ、人々を悟りに導くといわれている。
 旧長福寺の愛染明王は、像高一mとほぼ等身大になる桧材の寄木造りで、蓮華座座り、肉身は全て朱色に塗られ、火焔を浮き彫りにした光背をつけている。
 怒りをあらわしたお顔で、三つの目を大きく見開き、口元から牙を見せ、髪の毛は逆立ち、さらに煩悩浄化への強い意志を表す獅子冠を戴く。六本ある手には、煩悩を払いのける「五鈷鈴」・「五鈷杵」・「弓」と「矢」、悟りの象徴である「蓮蕾」をそれぞれ持ち、残りの手は固く拳を握っている。
 着衣には胡粉を盛り上げた上に唐草文や牡丹の団花文が色鮮やかに描かれている。制作年代や作者についての記録はないものの、平成二十二年の修復時の解体調査で、胎内から発見された明和八年(一七七一)の修理銘札厨子を天正七年(一五七九)に造立したと記録されており、鎌倉から南北朝時代の作である可能性が指摘されている。
 像の両脇に多数奉納されている木製の模造剣(刀)は、地元に伝わる「愛染様に奉納された木剣を一本お借りして願をかけ、それが叶った際にお礼に新しく二本の木剣をお返しする」という習俗によるもので、時代を越えた厚い信仰を表している。
                              平成二十三年  流山市教育委員会


2011_1206_101731-DSC04944.jpg 2011_1206_101741-DSC04945.jpg

2011_1206_101805-DSC04946.jpg 2012_0205_104723-DSC06375.jpg 

2012_0205_104441-DSC06369 パノラマ写真
敷地・境内はご覧のような状態です。左側に境内が広がっています。整備されるまで待ちましょう。

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新築成ったお堂。

2012_0205_105201-DSC06382 パノラマ写真
5枚の写真をつなげたパノラマ合成写真です。今後どのような風景になるのか楽しみです。
左手が‘流山セントラルパーク駅’,右手が愛染堂と中自治会館。TX沿いの造成工事は進行中です。


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お堂と六地蔵がどのように移転したか,あるいは元の位置なのかわかりませんが,左の写真は2010年1月13日撮影,右は2012年2月5日撮影。


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飯田藤村子句碑
飯田藤村子
本名、新次(しんじ)。大正三年(一九一四)埼玉県に生まる。若くして俳句の道に入り、「藤村子」の雅号は、作家島崎藤村より与えられたものという。のち同好の士と流山俳句会を結成、俳誌「黄楊(つげ)」を主宰、流山を中心に活躍した。句集「和円、弘法麦、知足」などがあり、句碑「盆の月母と父との二つ出よ」が旧長福寺に立つ。なお、市内赤城神社境内(流山六丁目)の一茶句碑「越後節蔵にきこえて秋の雨」は、「明治百年」を記念して、昭和四十五年(一九七〇)流山俳句会有志によって建立された。
平成七年(一九九五)七月四日没。
行年八十一歳。 当墓地に眠る。
戒名 俳徳新峰信士。


                           ※“一茶句碑”はNo.77光明院とNo.78赤城神社の箇所で紹介します。

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  1. 2012/03/06(火) 08:43:09|
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