写真でつづる流山の道 (79)流山寺

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

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(79)流山寺

「流山新100か所めぐり」第79番「流山寺」《TOP30-29》



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大黒天
インドでは暗黒の神(シヴァ神)として生まれ、その後仏教の子となり悪い神をやっつける牙をむきだした顔を持つ戦いの神でした。中国の唐の頃より、金袋を持ってすわる姿で寺の台所に祭られるようになりました。殿教大師により日本に伝えられ、鎌倉時代には福よかなお顔に変身しました。大黒天は豊作の神、財福の神とされています。

【大黒天像下の石碑に刻まれていることば】
流山寺大黒尊天御宣示
一、喜んで働く福槌を持つ人
一、信用の米俵を踏まえている人
一、節約して貯金袋をかつぐ人
一、常に和顔愛語を忘れぬ人
一、与えて惜しまぬ大きな腹の人
一、身低くお陰様の頭巾を頂く人
一、日々の感謝に生きる信仰の人
御宣示を守る人は、みな福徳をさずかります。
お参りは「オン・マカキャラヤ・ソワカ」を三回繰り返します。
第二十四世俊裕代移動、記


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【猿田彦像下の石碑に刻まれていることば】
猿田彦大神(サルタヒコ)
 日本神話。天照大神の孫にあたる天津神が地上に降りる際、辺りを明るく照らしたことから道の神、旅人の神(道祖神)として旅人の安全を守る。
 また、※庚申信仰の祭神として、見ざる、聞かざる、言わざるの三猿とともに、祭られる。

※「庚申の日の晩に人間の体の中に住む上尸(ジョウシ)の虫、中尸の虫、下尸の虫という三尸の虫が天に登ってその人の行状を神様に報告し悪いことをしていたらその分寿命を減らす」という言い伝え。
        第二十四世俊裕代移動、記


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名月やいづれの用にたつけぶり
        天保二年建 栢日庵斗囿
斗囿は松戸市馬橋の人、大川姓。本名は平右衛門とも吉右衛門ともいう。大きな油商「油平(あぶへい)」の大川平右衛門こと俳号栢日庵立砂(はくじつあん・りゅうさ)の子で、はじめ父立砂に就いて俳道に入り、父の没後家業と栢日庵を継いだ。のちに俳諧では、亡父と親交のあった小林一茶に師事、親しく指導を受けた。文化、文政、天保の時代、北総俳壇にめきめき頭角を現し、活発に宗匠活動を展開、地域の旗頭として活躍した。天保二年(1831)、流山付近の門人らにより、当寺にこの句碑が建立されたが、碑は太平洋戦争中の空襲において被弾、その弾痕を今に留める。なお、立砂、斗囿の親子は、共に一茶の強力な後援者としても知られる。
        平成十八年 春


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梅花観世音菩薩建立の趣意
 梅花観世音菩薩尊像は、曹洞宗開祖道元禅師の正法眼蔵「梅花の巻」に由来して、梅花流詠讃歌が生まれ、梅花観音尊像が昭和四十四年、仏像彫刻最高権威者である大内青甫先生によって彫刻されたものです。
 当山、玉隆敬光禅尼は、深く梅花観音の妙智力に帰依し、当山に梅花講をおこし、その霊験に浴するため、詠讃歌の普及に勤めてまいりました。
 禅尼は又、梅花観音尊像の建立と納骨希望者のために納骨堂を併設し、梅花観音の広大無辺の妙智力により、納骨霊位の菩提を供養することを畢生(ひっせい)の念願としていましたが、平成六年八月十八日、病の爲、拙僧に後事を託し不帰の客となりました。
 ここに、禅尼、在世の資糧をもとに、禅尼の念願を成就せんため、尊像建立のはこびとなったものです。
 梅花観世音菩薩の広大無辺の妙智力により納骨霊位の菩提が円満し、更に参詣の善男善女が後世に亘って、抜苦与楽、願望成就することを希うものです。
    合掌
    流山寺二十三世 眉山俊光 謹書
    平成七年一月吉日


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  1. 2012/04/10(火) 08:12:07|
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