写真でつづる流山の道 (84)三本松古墳

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

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(84)三本松古墳

「流山新100か所めぐり」第84番「三本松古墳

地図では平面に見えますが,南から東にわたってかなりの崖になっています。道を間違えないように,詳しい地図を持参してください。



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DSC00775.jpg市指定有形文化財第29号
鰭ヶ崎三本松古墳
 当古墳は、全長25M、前方部の幅8M、後円部径17M、最大高2.5Mの市内でも、例の少ない前方後円墳です。
 古墳の墳丘からは、円筒埴輪や人物埴輪が出土しており、その研究から古墳の造られた時期は、6世紀頃と考えられています。また、墳丘の形などの研究から、当古墳に埋葬された人は、市川市の法皇塚古墳、弘法寺古墳を含む国府台古墳群を築いた有力な首長層と密接な関係を持った在地の族長と考えられています。
 墳頂には、文政11年銘の「古塚碑」が建立されています。その内容を要約すると、「天明の飢きんの時人々が苦しみ、古墳に埋納された財宝を掘り出し飢えをしのごうとした。それを知った当時の庄屋は、人々に古代の人の墓をあばく事をたしなめ、古墳を守りとおした。」と記されている。江戸時代より周囲の人々には、当古墳が重要な文化遺産であると認識されていたようです。
         流山市教育委員会


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左端の石碑に並んで,右に「三本松稲荷」が祀られている。
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石碑文(流山市指定有形文化財(建造物))
【写真でわかるように石碑には欠損部が多く,判読可能な部分だけを転写しました。間違いがあるでしょうがご容赦ください。23行の改行をそのままに示しました。□=欠損部
下總國鰭﨑邨古冢碑(しもうさのくに ひれがさきむら こちょうひ)
下總國鰭﨑村古塚碑
    成島譲撰  市河三灾書  大隈守戸川安惠題額
下總國葛飾郡鰭﨑村有一邱邱上有塚相傳古貴佳城之地老松一□
槙以□□□矗摩霄土人因以名焉又神事之頗有靈應云天明甲辰□
左大饑餓□相籍或意塚必有寶器因謀發之□□正渡邉充房其子寅
倶告諭曰寶器有無來可必焉凢竊人□謂□□□令其中有物亦人貯
也道於窮□□□乎盗殆非人類爾輩寧死豈可爲乎乃傾家貮以賙窮
□□得□□□累数十人迨後渡邉□□□□饒邱地亦竟爲其有焉至
共孫睦□爲里正古塚霊應益彰其辧□□上者絡繹接踵第塚後有一
窟人或□見□□□就以爲神而不知□□□爲靈者多矣睦爲欲樹碑
以紀□□□之□余余□□□□邱何□□□獨此邱以靈威顯或其有
□□□□□□□敬而奉□□夫發廩□□□政一端爾祖以一里匹□
□□□□□□人其禦靈塚於發掘仁□□挽□風乎淪壊義也既仁且
義蜼先王之治何之尚焉□白狐靈獸□□□□邱神而罰狐宜其易易
狐西得宅神式不譴歟君子愛人推及□鳥彼綏綏者其獨何責安知非
□之於神或供其使令□乎爾其勿問睦曰諸□沈毅好學當遊千家翁
□門頗有氣槩益非隴畞間人也銘日
茫□總野有隆其邱茲誰□宅瘞骨一柡□□□邪或王或侯露泣荊棘
風咽□楸夜臺冥漠花落水□獨遣□爽靈威□鬽會歳艱凶民尋殆淪
誰□救之渡邊有人昔截鬼腕余受神魂制□以義賑窮以仁誠感強暴
澤盡郷鄰天錫之社神饗其恩百日茲□萬箱□□陰徳之報積善之慶
幾聞其語余□皿□□□勿替永守寧康□□□□克具酒槳施其餘惠
鎮茲四彊□□□□□□□□
文政十一年歳□戌子夏五月     渡邉睦 建  窪世祥鐫

(注)成島 = 成島築山(江戸時代の儒学者;この碑文を作成)
  市河 = 市河米庵(いちかわべいあん)幕末の三筆
  戸川安恵(とがわあんけい)= 幕府の役人;篆額の書者
  渡邉允房 = 睦の祖父
  寅 = 睦の父
  文政11年 = 1828年
  渡邉睦 = 鰭ヶ崎村名主;庄左衛門;石碑建立


【内容は『睦の祖父である渡邉允房と父である寅が天明の飢饉の時,古墳を掘って財宝を掘り出して食べ物にかえようとした村人がいたが,これをやめさせ私財を投じて農民を飢えから救った』というもの。(欠損部が多く判読困難);この古墳は6世紀後半の築造で,全長25m,高さ2m。】

※注と内容及び下記の説明文は「流山市文化財マップ 流山市教育委員会生涯学習課文化財保護係作成・流山市教育委員会生涯学習部生涯学習課発行」(¥300)に準拠しました。

「鰭ヶ崎三本松古墳」は出土する埴輪から,6世紀後半の築造と考えられ,前方部から後円部までの全長25メートル高さ2メートルの本市では最大の前方後円墳です。東葛飾地区で数少ない前方後円墳で,そこに葬られた人は地域の長クラスの人ではないかと見られています。古墳は裾のぎりぎりまで土が取られ急な崖となっていることから,区画整理事業のなかでは古墳を現状で残すことが困難となっています。江戸時代の人々が飢饉の時でさえ古墳を護ったことを記すこの碑は,豊かさや快適な生活を求めて多くの文化遺産を失っている現代の私たちに何を訴えているのでしょうか。



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古墳の北西方向から見た様子。手前の道路は人為的に開削したようで,全体が台地の端になっている。
素人には〝高さ2.5mの前方後円墳〟だとは見えないのだが・・・写真にも撮りようがないのです。
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右上の写真の左下隅に見える階段がこれ。           この階段を上った左手に「道祖神」がある。
                     〝上・下・左・右〟めまぐるしくてすみません。

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  1. 2012/04/19(木) 09:11:26|
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まとめteみた.【(84)三本松古墳】

「流山新100か所めぐり」第84番「三本松古墳」地図では平面に見えますが,南から東にわたってかなりの崖y地図Z市指定有形文化財第29号鰭ヶ崎三本松古墳当古墳は、全長25M、前方部の幅8M
  1. 2012/04/19(木) 09:32:13 |
  2. まとめwoネタ速suru
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