写真でつづる流山の道 (93)野馬除け土手跡 《松ヶ丘》

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

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(93)野馬除け土手跡 《松ヶ丘》

「流山新100か所めぐり」第93番「野馬除け土手跡」《松ヶ丘》

「野馬除け土手跡」は第24番《江戸川台》もありますが,《松ヶ丘》で柏市と接する箇所では,そのほとんどが柏市に属しているのですが,よく保存されていて,野馬除け土手の姿を観察するには最高の場所となっています。
市内の野馬除け土手跡は《上新宿》から《美原》にかけても断続的に見られます。
地図では,マーク①が流山市作成の解説板「野馬土手」の位置,②が北端を示し,③は弁天神社を示します。赤いラインは「緑地保全地区」を示します。



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画像が多いですが一挙掲載します。
いつもの「100か所めぐり」の解説板は設置されていないので,本格的な解説板を紹介します。


2010_0620_0842松ヶ丘ここは‘(柏市)南柏特別緑地保全地区’と‘(流山市)松ヶ丘特別緑地保全地区’として,柏市と流山市が共同で管理している地域になっている。
※『概要』に〝野土手〟となっているが,正しくは〝野土手〟です。でも〝野の間[あいだ]にある土手〟とも言えなくもない・・・

南柏特別緑地保全地区・松ヶ丘特別緑地保全地区
1 概要
  当緑地は、柏市と流山市の境に細長く残る歴史的財産である野間土手と一体となって、良好な樹林地を形成していることから、都市住民の良好な生活環境を確保することを目的に、特別緑地保全地区に指定したものです。
2 指定
  特別緑地保全地区は、都市緑地法に基づき都市計画法における地域地区として指定したものです。
 ・指定年月日 ・・・ 平成元年3月14日
 ・南柏特別緑地保全地区(柏市豊四季字弁天谷の一部)0.5ヘクタール
 ・松ヶ丘特別緑地保全地区(流山市松ヶ丘一丁目の一部)0.3ヘクタール
3 行為等の制限
  本地区において建築物その他の工作物の新築、改築又は増築、木竹の伐採等の行為を行う場合には市の許可が必要です。
   連絡先 柏市役所公園緑地課 04-7167-1111
        流山市みどりの課  04-7158-1111
        千葉県東葛飾地域整備センター柏整備事務所 04-7167-1201



2010_0802_0937前ヶ崎これは流山市教育委員会が設置した解説板。(道路沿いにある;マーク①)

野馬土手
 野馬土手は、一般的に「野馬除土手」とも「野馬堀」ともいわれており、野馬が牧外に出て民家に侵入したり、田畑の作物を荒すのを防ぐために作られたもので、土手と堀の部分から成っております。
 土手の高さは約二メートルから三メートル位、堀はV字型に掘られ深さは二メートルないし三メートル、幅は上部で約三メートルほどあり、低い土手と高い土手の二重に作られたものが多く、低い土手は馬の脚を痛めないようになだらかになっています。
 野馬の育成や増殖は自然に任せていましたが、将軍家などの乗用馬は、牧の中に土手を二重に作り、この中に放ち、保護と秀馬の増殖に努めていました。これを御放馬囲いといい、この区切りの土手を、お囲い土手といっていました。下総地方牧開発の歴史は律令時代にさかのぼることが出来ます。
 延喜式(平安時代初期につくられた法典集)には下総、高津(現多古町周辺)、本島(不明)、長州(現茨城県猿島町周辺)、浮島(現墨田区周辺)、大結(現船橋市周辺)の各馬牛牧があげられています。
 時代も下って武家時代に入ってからは軍馬の牧養地、供給地として利用されました。
 江戸時代の慶長十九年(1614)幕府はこの地に小金牧佐倉牧を設けています。この頃から牧場の仕事も本格的になって来ています。これらの仕事をする人々は「牧士」、「牧士見習」などといわれており、野馬土手や捕込(とっこめ=馬を追い込むために作られた特別の場所)やその他、牧に関する様々な仕事をしていました。
 下総台地一帯の牧は、船橋方面から野田方面にかけて広がり、土手は谷に沿い林を横切り、人家を囲うようにして走り、それはまるで小型の万里の長城のようです。
 市内における野馬土手は、平方原新田、上新宿、十太夫、大畔、駒木、駒木台、初石、松ヶ丘、野々下、市野谷などにも見られます。
       流山市教育委員会

                           ※適宜句読点を補いました

青木更吉氏の以下の図書[すべて崙書房]をご参照下さい。
『小金牧 野馬土手は泣いている』,『佐倉牧 続野馬土手は泣いている』,『小金牧を歩く』,『小金原を歩く 将軍鹿狩りと水戸家鷹狩り』


さあ,野馬土手の中に入ってみよう。
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片側に高い土手,片側に低い土手,真ん中に〝堀〟があります。この〝堀〟を掘った土で土手を築いたようです。ですから別名〝野馬堀(のまぼり/ぬまぼり)〟と言います。土手は高いところで2mほど,低いところで1mほどあります。この高さでは馬は乗り越えないそうです。だからスポーツとしての馬術で馬が障害物を飛び越えるが,馬にとってはすごいストレスになっているのだなと想像します。
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今では大きな木が生い茂っているが,江戸時代はこの土手が野原を横切って延び,遠くからでも見渡せる万里の長城のような景観だったことだろう。馬との関わりは実感できないが,人々の営みを想像するだけでもいいと思う。
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なぜ土を盛り上げて障害物としたのだろう?なぜ木の板とか丸太で柵にしなかったのだろう?
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この辺で野馬土手の外[西側;流山市側]に出てみよう。
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野馬土手の北の部分では,土手と認識できないくらいに低くなっている。
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住宅が迫ってきている。そして現代の〝馬〟である自動車が留められている。現実には野馬土手は邪魔かもしれないが,〝文化遺産・産業遺産・土木遺産〟として評価すべきだろうと思う。いっそのこと樹木を切り払って土手を露わに見せることのほうがわかりやすいかもしれない。
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                                      ここ松ヶ丘6丁目で北端となる。(マーク②)
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柏市側にある「弁天神社」。ずいぶん低い位置にある。神社の脇に水路があり,手前を右方向に野馬土手が延びていたので,この地は水田だったのかもしれない,その水田に馬が入り込まないように野馬土手を作った,と勝手な想像をする。(マーク③)

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  1. 2012/05/02(水) 10:08:04|
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