写真でつづる流山の道 (97)前ヶ崎城跡

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

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(97)前ヶ崎城跡

「流山新100か所めぐり」第97番;TOP30-25「前ヶ崎城跡」「前ヶ崎城址公園」

〝史跡〟としては「前ヶ崎城跡(まえがさきじょうあと)」,TOP30の〝公園〟としては「前ヶ崎城址公園(まえがさきじょうしこうえん)」と言う。
※「花輪城跡」では「花輪城跡公園」とも「・・・址・・・」とも表示するようだ。バス車内の停留所表示では「址」の字が変換されずに「■」で表示される。正確には「・・・城址」は「・・・じょうし」,「・・・城跡」は「・・・じょうせき/・・・じょうあと」と読むと思うのだが,「・・・趾」の表記も可能らしいので,似ている漢字で混乱するのだ。日本語は [「わ」ではない] むずかしい!




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2010_0504_092307-DSC00954.jpg前ヶ崎城跡
 前ヶ崎城は16世紀中葉から1590(天正18)年頃まで、松戸市小金城を本拠とする高城氏の支城として機能したと考えられます。
 西・北・東側の三方を坂川とその支谷に囲まれた、標高16mの細長い台地上に立地し、水田面とは11mの比高があります。現在地から南160mと350mの二箇所に、かつて堀切りが存在したといわれており、このことから3つの郭を直線上に配置した城と想定されます。付近には刑部郭・追手橋・馬場といった地名も伝承されていますが、城の施設と直接関連するかは不明です。
 公園として整備した範囲は城の中心となる主郭の部分で、西側は過去の道路建設によって失われていますが、東・南側には高さ3m~4mの土塁が、東側の一部と南側には深さ約3mの空堀が見られます。また、南サブエントランスは以前から土塁が途切れており、この部分を郭の出入り口である虎口に、その西側の最も高い土塁を櫓(やぐら)跡とする考えもありますが、郭の構造や建物配置は明らかになっていません。
    平成9年3月  流山市 流山市教育委員会



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『新道竣成記念』碑                           『尾鑿山大権現』碑  
                                        ※〝鑿〟は‘サク・ザク’‘のみ・うがつ’という漢字。

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広場になっている本丸跡。

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  1. 2012/05/09(水) 08:24:44|
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