写真でつづる流山の道 呉服新川屋とその周辺

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

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呉服新川屋とその周辺

「流山観光スポットTOP30-21;呉服新川屋」




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マーク1=新川屋,マーク2=ましや,マーク3=蔵日和,マーク4=丁子屋

流山広小路に立つ『登録有形文化財』
どっしりとした土蔵造りは往時の繁栄を感じさせる。広小路の対角線側には「呉服増屋(ましや)」がある。東京銀座の三越と松屋といったところか。



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2011_1023_095744-DSC04386.jpg呉服新川屋店舗
登録有形文化財(建造物)第一二 ―― 五八号

この建物のある流山広小路沿いの地区は、江戸時代から江戸川沿いの加村河岸に米や東北・北関東の物資を運ぶ水運業や、江戸時代中期に開発されたみりん醸造業などで栄え、昭和四十年代まで多くの商家が軒を並べていた。
呉服新川屋は弘化三年(1846)創業で、この建物は、明治二三年(1890)に建てられたものである。土蔵造りの分厚い壁が特徴で、恵比須、大黒天が表された屋根の鬼瓦は見事である。建物に書かれた文字から熊五郎という松戸市の大工が建てたことが知られる。
現在広小路界隈の歴史的建造物は少なくなってしまったが、呉服新川屋店舗は国土の歴史的景観に寄与しているものとして、平成一六年国の原簿に登録された。
建物は建築後何回か修理されているが、平成一七年文化財として保存修理工事を行っている。
流山市教育委員会



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                         南側鬼瓦 大黒天 ; 北側鬼瓦 恵比須

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2012_0505_090320-DSC08018.jpg『新撰組御用達下総流山ましや』の看板。

土蔵の前には,ましやの解説板がある。

呉服 ましや(増屋)店舗・土蔵
呉服店「ましや(増屋)」は江戸末期の安政六年(一八五九年)の創業であり、その以前は酒造業を営み、文政一一年の記録が残っております。
店舗部分は関東大震災(一九二三年)当時までは江戸時代以来商家としては一般的であった軒を大きく前に出した「出桁造」でありましたが、防災及び街路の拡幅のため、当時流行の洋風を取り入れた、いわゆる「看板建築」様式に改造されたものであります。
切妻造りの「土蔵」部分は明治三年に建てられたもので、流山本町地区(旧・加岸、加台、根郷、宿など)において現存する最古の土蔵の一つであると云われております。
なお蔵内上部梁には左記の墨書が残っています。
上棟 明治三年 午 八月
左官 丑五郎   大工 権次郎 留吉 亀次郎
石工 藤吉    鳶  安五郎 勇吉



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2012(平成24)年4月5日に開店した「丁子屋」(イタリアンレストラン)と「蔵日和」(パン屋)。どちらも昔ながらの古民家を改装したものだ。ここの旧道を南へ行くと「見世蔵」があり万華鏡を楽しむことができる。

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  1. 2012/05/22(火) 13:47:06|
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