写真でつづる流山の道 秋元稲荷--近藤勇辞世の句

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

秋元稲荷--近藤勇辞世の句

秋元稲荷」は塀に隠れて屋根だけ見えます。回り込んで見ると,門柱の間が広いので道の延長かと思っていましたが,ここは秋元家個人の稲荷様のようです。そこには近藤勇の辞世の句が掲げられているので紹介します。
個人のお宅なので地図には名称が載っていません。このすぐ隣には「近藤勇陣屋跡」があり,さらに並んで「閻魔堂」があります。



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2010年6月に訪れた時には由来を記した〝高札〟の文字が読めませんでした。

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2012年6月に訪れた時には由来の〝高札〟が新しくなっていました。読んでみると・・・

 秋元稲荷大明神
徳川十一代家斉将軍在位時代
享和二年(1802)八月 天領地に
京都伏見稲荷大社より分社建立

慶応四年(1868)四月二日当時の
酒造業永岡屋を本陣とし
新選組が到着陣立ての際
近藤勇 土方歳三らが
戦勝祈願をしたと伝わる

 平成二十四年三月二十日
  当主 秋元浩司


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近藤勇の辞世の句は,やはり石碑に彫るか,無垢の白木に墨守するかした方が良いのではないか,と考えます。費用は・・・寄付を募って・・・












2012_0604_094505-DSC08386.jpg  近藤勇昌宜 辞卋  
孤軍援絶作俘囚 顧念君恩涙更流
一片丹衷能殉節 雎陽千古是吾儔 
靡他今日復何言 取義捨生吾所尊
快受電光三尺剣 只将一死報君恩 

書き下し文にしてみると

孤軍援(たすけ)絶えて俘囚となり 君恩を顧念して 涙更(また)流る
一片の丹衷(たんちゅう) よく節に殉じ 睢陽(すいよう)は千古 これわが儔(ともがら)
他に靡(なび)きて今日また何をか言はむ 義を取り生を捨つるは わが尊ぶところ
快く受く 電光三尺の剣 ただ まさに一死をもって 君恩に報いむ
【ネットでchiebukuro.yahoo.co.jp/から転載しました。ありがとうございました。】





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  1. 2012/06/10(日) 08:41:27|
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