写真でつづる流山の道 流山七福神(4)大黒天;流山寺 《流山7丁目》

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

流山七福神(4)大黒天;流山寺 《流山7丁目》

流山七福神第4番目は,流山寺(りゅうさんじ)にある大黒天です。




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大黒天 流山寺
インドでは暗黒の神(シヴァ神)として生まれ,その後仏教の子となり悪い神をやっつける牙をむきだした顔を持つ戦いの神でした。中国の唐の頃より、金袋を持ってすわる姿で寺の台所に祭られるようになりました。伝教大師により日本に伝えられ,鎌倉時代には福よかなお顔に変身しました。大黒天は豊作の神,財福の神とされています。
流山市観光協会








2012_0224_100429-DSC06540.jpg【大黒天像下の石碑に刻まれていることば】

流山寺大黒尊天御宣示
一、 喜んで働く福槌を持つ人
一、 信用の米俵を踏まえている人
一、 節約して貯金袋をかつぐ人
一、 常に和顔愛語を忘れぬ人
一、 与えて惜しまぬ大きな腹の人
一、 身低くお陰様の頭巾を頂く人
一、 日々の感謝に生きる信仰の人
御宣示を守る人は、みな福徳をさずかります。
お参りは「オン・マカキャラヤ・ソワカ」を三回繰り返します。
第二十四世俊裕代移動、記



大黒天はオホクニヌシ,オホナムヂ,アシハラノシコヲ,ウツシクニタマ,ヤチホコと5つの名前を持つ。『大国主神は,偉大なる国の主の意で,葦原の中つ国を統一し,最初の王者となるところから名付けられている。多くの別名を持つが,神の名はその力を示すもので,それだけさまざまな力を持っていることを表している。ただし,別名で呼ばれている神は,もとは別の神であり,それをオホクニヌシ(大国主神)という名で統合をはかったと考えられる。』(三浦祐之「口語訳 古事記」文春文庫より引用)

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大黒天と並んで左側に置かれているのは‘猿田彦(サルタビコ)’です。

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【猿田彦像下の石碑に刻まれていることば】

猿田彦大神(サルタヒコ)
日本神話。天照大神の孫にあたる天津神が地上に降りる際、辺りを明るく照らしたことから道の神、旅人の神(道祖神)として旅人の安全を守る。
 また、※庚申信仰の祭神として、見ざる、聞かざる、言わざるの三猿とともに、祭られる。

※「庚申の日の晩に人間の体の中に住む上尸(ジョウシ)の虫、中尸の虫、下尸の虫という三尸の虫が天に登ってその人の行状を神様に報告し悪いことをしていたらその分寿命を減らす」という言い伝え。
第二十四世俊裕代移動、記




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  1. 2012/08/02(木) 08:11:03|
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