写真でつづる流山の道 流山の地名(1)

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

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流山の地名(1)

新しいシリーズ「流山の地名」を始めます。
流山市内にある町名・字(あざ)名を写真で紹介するには,電信柱に巻き広告として貼ってある〝ここは〇〇〟と書かれた部分を示すこととしました。場所によっては道路標識や信号機に付けられた名称板も紹介します。また位置確認には「流山市観光マップ」が一番良い手がかりです。広告のない地域は示せませんでした,あしからず。
地名の由来等については「楽しい東葛地名辞典」(博物館友の会扁・崙書房¥2800)がわかりやすく一押しです。「角川地名大辞典」は〝名前の由来〟についてはほとんど触れていません。「流山市史」なども調べましたが,歴史研究に疎い私には立派すぎる資料で,ほんの表面だけ目に映った事項だけをつまむ程度です。
ともあれ“写真でつづる・・・”このブログ,せいぜい画像でお楽しみください。
説明文は上記3種の資料から引用させていただきました。
流山市の北の方から,1回に5つずつ紹介していきます。

第1回のきょうは「東深井」「西深井」「こうのす台」「平方」「美原」です。

マーク位置は,地図に地名が表示されている場合はそこに,ない場合はおおよその場所に置いた。


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2012_0210_093337-DSC06410.jpg 2012_0210_095839-DSC06412.jpg
東深井・西深井(ふかい)
現在では東深井と西深井に分かれているが,古くは‘深井’一つの地名だった。享保14(1730)年に庄内古川の東側に新江戸川が開かれて,その直後に西深井村などが新田開発して成立したと言う。この辺りでは谷津の田んぼを〝フカイ〟と呼んでいたので,それが地名となった。また一説では「低湿地の深田」を「フケ」と呼ばれていたからとも言う。かつて西深井全域に亘る地域に,深井城とその支城があったことが発掘調査等でわかっている。
「深井新田」には表示が見つかりませんでした。


2012_0210_092353-DSC06408.jpgこうのす台
市内で唯一ひらがなの字名。近世には,域内に周辺地域の所轄地として≪鴻ノ巣,鴻ノ巣内,内鴻ノ巣,中鴻ノ巣,外鴻ノ巣,鴻ノ巣境≫6つの小字(漢字表記)があったものを一つにまとめて,昭和45年2月の千葉県告示によって決まったそうだ。≪下鴻ノ巣,外鴻ノ巣,鴻ノ巣≫の3つは江戸川台東3丁目になっている。〝台〟がつく地名は大方戦後の開発地域だ。開発以前は一面の松林で,コウノトリも生息していたのであろう。埼玉県の〝鴻巣市〟は現在でも漢字表記だ。‘鴻巣’の表記は元禄15年(1702)にはあったようだ。昭和30年代までの地籍表示は『千葉県東葛飾郡流山町東深井字鴻の巣』だった。







2012_0210_101141-DSC06413.jpg 
平方(ひらかた)
「平方村新田」は表示が見つかりませんでした。













2012_0210_101636-DSC06414.jpg 
美原(みはら)
江戸川台と平方に挟まれた地域。














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  1. 2012/09/10(月) 08:26:05|
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