写真でつづる流山の道 流山の地名(2)
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写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

流山の地名(2)

「流山の地名」の2回目は,
江戸川台東」「江戸川台西」「青田」「中野久木」「富士見台」を巡ります。

③は少し東へスクロールしてください。


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2011_0721_142051-DSC03710.jpg江戸川台東・江戸川台西(えどがわだい)
中野久木・平方・平方原新田・東深井それぞれの一部をまとめて,昭和33年(1958)に「江戸川台団地」が造成されてできた街。同時に東武野田線江戸川台駅も開業した。東武野田線が柏-野田町間で開業したのは明治44(1911)年。昭和34年から45年にかけて,東・西ともに1丁目~4丁目ができた。昭和45年には「西5丁目」が「富士見台」となった。東・西とも「1丁目」~「4丁目」がある。
(写真左)今でも古い表記を掲げているお宅がある。












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江戸川台駅西口に立つ「江戸川台団地創設記念碑」の文
『江戸時代に将軍の鷹狩の場所であったという江戸川のほとり小金ヶ原の雑木林の中に江戸川台団地が誕生して早くも十年、団地が立派に成長したばかりでなくこの成長に伴なって自ずと味醂の町流山は流山市に成長し更に大流山市への一大發展の躍動が続いている。この団地造りの成功によって千葉県住宅協会、今の千葉県住宅供給公社も大いに成長を遂げ盛に住宅団地造りに活躍を続けている。こうして静かな住宅の街江戸川台団地が諸々の成長の素となったことはまことに異議深いことと思う。今江戸川台団地建設十周年を迎えるにあたりこの碑を建てて江戸川台団地創設の記念といたしたい。
昭和四十三年十一月三日 千葉県住宅供給公社 理事長川上紀一』

【裏には,「江戸川台団地創設者 財団法人千葉県住宅協会会長 現千葉県知事 衣納武人
同 理事長 田中 孝       流山町長 田中芳夫」とある
※市制施行は昭和42年(1967)1月1日・・・ということは,この碑に刻まれた〝昭和43年11月3日〟には〝市長〟であるはずなのだが・・・】


2012_0303_085827-DSC06618.jpg青田(あおた;古くは〝おおた〟か?)
室町時代末からあったらしい。慶安2(1650)年に成立した記録があるらしい。
アヲのつく地名は青い色に関連して説明されやすいが,アワの転とすれば〝沫〟〝泡〟に通じ,方言で湿地を〝アワラ〟ということから,穂が出る前の青々とした田の意味ではないようだ。近世には「青田新田」だった。柏市に「大青田」「小青田」がある。国道16号の常磐道IC北の交差点は「大青田[OOAOTA]」と言うが,40年ほど前は「おおた[ŌTA]」と表示されていたような気がする。








2012_0402_092448-DSC07283.jpg中野久木(なかのくき)
台地の中間の切れ目‘ナカノキレ’からか,クキはクヌギのことで燃料の採集地であったことから名前が付いたとも言われる。弥生時代の遺跡があったが現在ではすべて宅地となっている。〝中野久木谷頭(たにがしら)遺跡〟として調査研究報告書が出ている。明治時代は新川村で新川村役場が置かれていた。中世には「中之久木」「中ノ久喜」「中久木」の表記があった。









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富士見台(ふじみだい)
富士山が見られるかまだ確認していないが,見えるのだろう。長崎1・2丁目の天形星神社の裏手は柏市の「富士見台」という。昭和45年それまであった「江戸川台西5丁目」が「富士見台」と改称された。「1丁目」「2丁目」と〝丁目〟のない「富士見台」から成る。


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  1. 2012/09/11(火) 07:41:00|
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