写真でつづる流山の道 流山の地名(9)

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

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流山の地名(9)

シリーズ9回目は「前ケ崎」「名都借」「松ケ丘」「西松ケ丘」「向小金」です。



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前ケ崎(まえがさき)
富士川が坂川に向かう地域にできた集落。谷に突き出た台地の先っぽの地形をサキとかサクと言うところから,〝前方が谷〟を表わす「マエガサキ」となったと考えられる。この台地先端部は小金城主高城氏の中世城郭跡となっている。元弘3(1334)年の銘のある11基の板碑がある。また「マエ」は単純な前後と言うより,寺社の門前や豪族屋敷から見てその前を言うことが多いが,当地では判然としない。前ヶ崎城ができたこととの前後関係は不明。



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名都借(なづかり)
名都借の台地の北側には水田があり,‘水につかった泥田’を〝ナズキ田〟と言ったらしい。また台地の西側には富士川に向かう崖があるが,ある方言で‘崩れること’を〝ナズ〟ということから,崩れやすい土地という意味があるのかもしれない。また‘カリ’は〝刈り〟が普通だが〝切り〟に通じるとして,〝切り取られたような崖〟(切通し)を示すとも考えられる。台地の周囲には七つの谷津があったことから,“七つの谷津[崖=カリ]”から“ナナツカリ”が変化したとも考えられる。泥田と崖地の両方の意味を持つ複合地名としての「ナツカリ」が妥当な意味づけに思える。また室町期から「名都狩」と書いて「ナトカリ」と読んだようだ。しかしなぜ「名」「都」「借」という漢字を充てたのかは不明。〝夏刈り(ナツカリ)〟から出たのではないらしい。台地一帯は中世城郭跡で,土塁跡が残る。昭和46年に西松ヶ丘1丁目,昭和53年には松ヶ丘6丁目,昭和57年には野々下6丁目ができた。【詳細は「楽しい東葛地名辞典」参照】
また「ナトガシムラ」や「名都借り村」の表記もあった。

信号に書かれたローマ字表記では〝Nazukari〟となっているが,表記は〝なづかり〟が正しい。〝なずかり〟ではない。パソコン入力では‘nazukari’でも‘nadukari’でも変換できる。
※「東」が〝あずまAzuma〟か〝あづまAduma〟かにも悩まされる。「東=Azuma」「吾妻or我妻=Aduma」という基準で判断する。「続く」が〝つづく〟で〝つずく〟では変換できない。・・・日本語は難しい[Muzukashii/Mutukashii/Mudukashii]!


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松ケ丘(まつがおか)・西松ケ丘
向小金新田の北半分から昭和36年に成立,昭和53年に名都借の一部を編入して1~6丁目の区割りとなる。「西松ケ丘1丁目」がなぜ〝松ケ丘〇丁目〟とならなかったのだろうか?


2012_0327_103012-DSC07027.jpg向小金(むかいこがね)
中世に小金野の一部が新田開発された。水戸街道の小金町の助郷村。〝カネ〟は〝曲尺(カネジャク)〟に見るように,カギの手に曲がっている所を指す。松戸市の小金が旧水戸街道が直角に曲がっている所に発達した集落でこの名が付いたようだ。その小金に向かい合う形で新田が作られ「向小金新田」となった。〝こ〟は接頭語で大小とは直接関係ない。‘道の曲がった所の集落に向かい合った所’の意。昭和36年に北部の一部が松ヶ丘となる。








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  1. 2012/09/20(木) 07:40:57|
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