写真でつづる流山の道 流山の地名(10)

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

流山の地名(10)

シリーズ「流山の地名」最終回です。「鰭ケ崎」「宮園」「南流山」「」の4カ所です。
これで流山市内の字名をほぼ網羅しました。
地名を証明するものがなかった地域は「深井新田」「平方村新田」「上新宿新田」の3か所です。いずれも北部江戸川沿いにあります。




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2012_0204_091242-DSC06236.jpg鰭ケ崎(ひれがさき)
東福寺縁起や八木村誌に,弘法大師が立ち寄った時,龍王と名乗る老人が現れ,薬師如来像を彫るよう告げた。像を彫る木を探していると龍が竜宮の霊仏をもって現れたので,大師はこれを薬師如来に彫り直して東福寺を建立して像を祀った。龍が帰るとき,鰭の先を残していったという。またこの辺りの地形が海に突き出た岬[崎]に似ていることから〝鰭の形の台地〟という意味で「鰭ケ崎」としたとも考えられる。東福寺の山号は守龍山という。また「ひれか崎村」の表記がある。








2012_0413_132814-DSC07644.jpg宮園(みやぞの)
名称は『思井の熊野神社の前庭,五穀豊穣の園』という意味がある。昭和48年5月東急不動産が「東急ニュータウン流山みやぞの」として建設工事が始まった。昔は坂川の氾濫があった水田地帯だったが現在では見事な碁盤の眼のような市街地となっている。最長1kmの直線道路や,坂川と共に「みやぞの野鳥の池」が整備され,一層住みやすい地域となっている。









2012_0204_090810-DSC06235.jpg南流山(みなみながれやま)
昭和48年(1973)国鉄(現JR)武蔵野線が開通して‘南流山駅’ができたことによってその駅名が町名となった。「木」「流山」「鰭ヶ崎」の各一部ずつを分割して新設された。駅名から町名になったのは,「江戸川台」や今後誕生する「おおたかの森東」がある。現在の「運河」駅は当初は「東深井」となるはずだったらしい。また流鉄の「平和台」駅は当初は「赤城台」だった。









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(き)
〝太い川の際(きわ)〟から由来すると考えられる。域内には「膝丸(ひざまる)村」があった。江戸期から「木村」と称す。水戸街道小金町の助郷村。


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電柱には「南流山6丁目」とあるのに,すぐ近くの道路標識では「木」となっている。
これはおそらく,「木」の表示は地点のピンポイントでの位置ではなく,〝道路のライン〟としての意識から〝ここから先は「木」地区〟を表しているのかもしれない。電柱の位置の方が実際の地名だ。
















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かつては「ミツウロコ」というローカル味のする名前だったが「木」に変わってしまった。マーク⑤
バス車内での案内が“つぎはキ”というのを聞くとなにか物足りない気(キ)がする。
南隣のバス停は「膝丸(ひざまる)」という。これも昔の小字名。



次回は〝漢字1字〟の地名をまとめて紹介します。
すでに扱いましたが,ぜひここでまとめておこうと思います。
お楽しみに!


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  1. 2012/09/21(金) 08:00:59|
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