写真でつづる流山の道 公園(43)加1号公園&加岸児童公園

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

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公園(43)加1号公園&加岸児童公園

流山の歴史で必ず登場する〝加(か)〟地区の2つの公園「加1号公園」と「加岸児童公園」とを紹介します。〝加岸(かぎし)〟や〝加台(かだい)〟という地名は流山の発展を跡付けるキーワードです。記念碑から往時の流山の姿がうかがわれる。



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2012_0320_093055-DSC06885.jpg
「加1号公園」(マーク①)
背景にあるのは流山市文化会館の建物。












2012_0320_092540-DSC06882.jpg 2012_0320_092619-DSC06883.jpg
「加岸児童公園」(マーク②)  記念碑には以下のように刻まれている。
加岸土地区画整理事業完成記念碑
 この地は、古来豊穣な土質、良質な水、温暖な気候に恵まれ、万葉の時代から文字通り瑞穂の国として栄え江戸時代に至り、この稲と水を原料とした醸造業興り、その芳醇さの故を以って江戸の風流人士を魅了し、また第二次大戦直後の暗い不安な時代の食料供給に貢献したが、その後社会生活環境の変化は著しく且つ農業技術の進歩の前に古来の未整理の湿田は、耕作上誠に不自由となった。
 このため区画整理の必要性がしきりに唱えられていたが昭和三十八年偶々建設省による江戸川増補工事及び県道松戸-野田線の付替工事の計画が提示されたことを契機に地元有識者の提唱により有志相諮り流山町当局の懇切な指導を得て着々準備を進め昭和四十一年三月三日、県道松戸-野田線以東、同流山-柏線以北、東は三輪野山下に亘る九・六ヘクタールの地域を対象として、事業認可となり、ついで同年四月二日、加岸土地区画整理組合が設立されるに至った。
 当初の計画では、直ちに埋立は行なわず整理後も当分水田として利用する予定であったが、その後の急速な都市化による住宅地の需要に鑑み、全面埋立に計画を変更、ために技術的困難はもとより工事費の増大と事業期間の大巾な伸長等々幾多の障害に直面した。しかしその都度流山市当局の適切な指導と関係者一同の堅い結束によって昭和五十年七月吉日総事業費二三二、四八三、〇〇〇円を投じた本事業が完成し、ここに旧来の湿田は面目一新、一望整然たる街区の誕生を見るに至った。
 これにより本市内の低廉良好な宅地の大量供給に資し、且つ本市街地構成の重要な核となる意義は大きい。更に間接的効果ながら、新県道の完成及び江戸川増補工事促進に貢献したところ、また極めて大であるといわねばならない。この間関係官庁、各方面から寄せられた温かい御理解と御援助、工事関係者の誠意、更には、全組合員の堅い団結と積極的な協力があったことも特に附記して後世に伝えたい。
                            【裏面には“関係権利者”の名前が彫られている。】

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  1. 2013/01/15(火) 07:36:07|
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