写真でつづる流山の道 流山発見;日光東往還(2)

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

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流山発見;日光東往還(2)

「日光東往還」に入る前に「水戸街道」をもう1か所見ておきます。
「水戸街道」から分かれて「日光東往還」が始まる地点に「別雷神社」という神社があります。そしてそこに「新木戸」という名前のバス停があります。このあたりにあった「小金牧」の幕府直轄の放牧場を横切る際に,木戸を設けて通行人を確認した場所のようです。その木戸が「日光東往還」の分岐とも関わっていたのではないかと想像します。
まずは「別雷神社」へ。・・・読めない・・・!・・・「わけいかずちじんじゃ」です。〝べつらい~〟ではありません。表記は本来〝いかち〟なのでしょうが,辞書では〝いかち〟です。『厳つ霊(いかつち)』が元の意味だそうです。流山市鰭ヶ崎(ひれがさき)にオビシャ行事で有名な「雷神社」がありますね。こちらも「いかずちじんじゃ」です。


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2013_0604_091340-DSC01862.jpg【別雷神社と豊川稲荷神社が合祀されている】
神社の由来
小金ヶ原の一角に鎮座する別雷神社、稲荷神社は、明治維新の混乱期、常州金村より、又三州豊川から明治三年九月十五日奉写され当地に鎮座、明治二十九年四月二十七日現在地に鎮座されました。
茨城県金村の別雷神社は承平元年三月十五日京都上賀茂の別雷神社の御分霊を守護神として金村に奉斎され祭神の別雷大神は雷を支配統御する神で霹靂一声正邪を正し悪事災難を消滅される荒魂と旱天に慈雨を恵み万物に正気を与える和魂の剛と温、両面の神格を有する伝統ある神様であります。
当地に鎮座されて百有余年になりますが神社氏子に落雷に遭遇した者なく又当神社に参拝され神のご加護を祈られる近郊近在の信仰者が多数見受けられます。
神社行事
一、 一月     元旦祭
一、 二月     初午祭
一、 七月十四日 宮薙祭
一、 十月十五日 大 祭           護付希望者は世話人まで御申込下さい。



2013_0604_091458-DSC01864.jpg 2013_0604_091529-DSC01865.jpg
「新木戸」バス停。50~60m前方の信号地点が「日光東往還」への入り口。道路は「水戸街道」。
ここのバス停にバスが来るのは一日に一本だけです!


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  1. 2013/06/08(土) 08:10:27|
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