写真でつづる流山の道 流山発見;日光東往還(3)

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

流山発見;日光東往還(3)

水戸街道から分かれていよいよ「日光東往還」に入ります。マーク①
歩き出す前に,この街道の全体(といっても野田市境まで)を地図で示します。

現在では道がなくなっている箇所も強引に線を引きました。数か所のクランクに注目してください。


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2013_0428_085027-DSC01341.jpg 2013_0604_090832-DSC01850.jpg
ここが「日光東往還」の始まりです。手前の左右方向の道路が水戸街道です。
JR常磐線を越える陸橋になっていますが,目は200年前にタイムスリップさせましょう。

2013_0604_090730-DSC01846 パノラマ写真
パノラマで撮ってみました。手前が水戸街道。陸橋上は歩けないので,少し行った所で階段を使います。
2013_0428_085407-DSC01350 パノラマ写真

ここでこの街道の名称について紹介しておきます。以下に示すように様々な呼称がある[あった]ようです。当ブログでは「日光東往還」にしようか「旧日光街道」にしようか迷いました。いくつかの著作物でも両方が使われています。日常生活の中での庶民感覚では「旧日光街道」かな,日常会話では使いにくい公的な固有名詞としては「日光東往還」かな,と思いつつ・・・後者にしました。
「日光東往還」《〝往還〟って死語っぽい。でもちょっとカッコイイかな?》
「旧日光街道」《国道6号線との交差点信号にこの名称が使われている》
「日光街道」《常磐道を越える橋の名前に使われている(日光街道大橋)。でも国道4号線と紛らわしい》
「多功道」《寛政時代1800年頃の正式名称。現在の栃木県河内郡上三川町(かみのかわまち)多功(たこう)に由来する》
「関宿通多功道」《「せきやどどうりたこうみち」と読むのか。徳川幕府が使った正式名称とのこと》
以上が〝公式名称〟と言えそうです。以下は〝民間の名称〟と言えるかもしれません。
「日光海道」「日光東海道」「日光東道中」「日光東遷道」「日光裏街道」「(日光)脇往還」「(日光)脇街道」「東日光街道」
★〝〇〇街道〟とよく言いますが〝〇〇道中〟の方が正式だそうです。

こうやって見てくると,道の歴史に興味がわきます。200年後日本の道路名称はどうなっているだろうか?


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  1. 2013/06/09(日) 08:28:12|
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