写真でつづる流山の道 流山発見;日光東往還(8)

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

流山発見;日光東往還(8)

「一本松稲荷神社」境内にある石碑を読みます。これも「新富稲荷」境内にある「豊四季開拓百年記念碑」と同じように、かなり力を入れて書いた文章です。気概というか気迫が迫ってきます。



powered by 地図Z


2013_0428_094555-DSC01400.jpg 2013_0428_094631-DSC01402.jpg
『一本松稲荷神社 鎮座記念碑』の裏に,経緯が書かれています。読みやすく句読点と振り仮名をつけました。
碑文の改行をそのままにしました。

茲 當稲荷神社ハ、明治三十七年二月初午ノ當日、豊四季(とよしき)三号住民ニ
十六名相謀リ、敷地字(あざ)一本松二百六十九番ノニ、山林五畝歩ヲ、八木村(やぎむら)市
野谷(いちのや)鈴木祐次郎氏ヨリ買受ケ、仝年五月十二日一社ヲ建立シ、農耕ノ主
神稲荷大神ヲ勧請シ、以テ鎮守トス。仝時ニ鈴木氏ハ、敷地内ノ字名ヲ生
セシ、名高キ老松立木一本ヲ竒附セラレテヨリ、一本松稲荷神社ト称ス。
次テ仝年仝字二百六十八番ノニ、山林二畝歩、八木村(やぎむら)前ヶ崎(まえがさき)竹内愛之助
氏カ献納セラル。其後神徳顕彰ノタメ、大正十五年十月、仝字二百六十九
番ノ内、四十三坪六合ニ、八木村(やぎむら)古間木(ふるまぎ)芳野為三氏ヨリ献納セラレタリ。
是ニ於テ、神社敷地二百五十三坪六合トナレリ。依テ三号区民合議シテ、
鎮座記念碑ヲ建テ、以テ後孫ニ傳フト云爾。  敷地二筆合計二百十坪
代表人豊田定吉外七名 同一筆四十三坪六合代表人杉原伴蔵外三名

明治三十七年五月十二日稲荷神社建設当時氏子
【セハ人(世話人)として、65名の名前が下の段に刻まれている】
昭和二年二月建立
流山市石工 小早川茂八刻
※‘石工 小早川茂八’は「阪川治水碑」を刻んだ‘小早川如春’の子孫か?


2013_0428_094907-DSC01410.jpg
『御嶽神社碑』もある。

抑々(そもそも)當御嶽神社ハ、明治三十四年ノ建立ニシ
テ、三号坪内道灌坂ニ鎮座セラル。講員三十有
余名ノ守護神タリ。今回御嶽講社員ヨリ一本
松稲荷神社境内ニ、合社ノ懇請アリ。依而當氏
子之ヲ諾シ、昭和八年四月十五日移轉鎮座セ
リ。茲ニ氏子一同相謀リテ記念碑ヲ建立シ、後
世ニ傳ヘントス
一本松稲荷神社
昭和八年四月 三号氏子一同







2013_0428_094926-DSC01411.jpg 2013_0428_094939-DSC01412.jpg
『不動明王碑』と『御嶽神社碑』

スポンサーサイト
  1. 2013/06/18(火) 08:12:23|
  2. ブログ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<流山発見;日光東往還(9) | ホーム | 流山発見;日光東往還(7)>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://nagareyamamichi.blog.fc2.com/tb.php/461-7032c2c6
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。