写真でつづる流山の道 流山発見;日光東往還(10)

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

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流山発見;日光東往還(10)

「日光東往還」を進んで,一里塚に来ました。水戸街道から分かれて4.1km地点です。
「きらら公園」と名付けられています。「初石36号公園」という名とどっちがいいですか?




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2013_0429_092945-DSC01444 パノラマ写真
右手が東,水戸街道方向。正面へクランク状に曲がると「きらら公園」が見えます。 マーク①

2013_0429_093057-DSC01446.jpg 2013_0429_093122-DSC01447.jpg
「きらら公園」です。きれいに整備され,日光東往還と一里塚のことが記されています。 マーク②

2013_0429_093205-DSC01448.jpg 2013_0429_093332-DSC01449.jpg
一里塚です。土を盛ってありますが,往時のものではないでしょう。このあたりにあった野馬土手もなくなっています。

2012_0611_095319-DSC08487.jpg 2012_0611_095346-DSC08489.jpg
日光東往還(旧日光街道)
 「日光東往還」は、江戸時代に五街道のひとつ
日光街道(表街道)の脇街道です。
 江戸幕府初代将軍徳川家康の命日に日光東照宮で
催される大祭に歴代将軍が参拝するとき、表街道と
ともに利用され地元では古くから「日光街道」と
よびならわしています。
 公園周辺のクランク状の道(通称・西初石クラン
ク)は、拝礼のために日光へ向かう武士一行が敵に
襲撃されるのを恐れ、道中の安全のために設けた
ともいわれています。
 また、街道は幕府直轄の小金牧(土手に囲まれた
軍馬育牧場)のひとつ上野牧(かみのまき)の中を通っており、
牧の出入り口には土手に木戸が作られ通行のたびに
開閉していました。
 公園周辺にも木戸があったとの伝承があり、クラ
ンクは木戸を通過するために設けられた可能性も
あります。



2012_0611_095355-DSC08490.jpg

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  1. 2013/06/21(金) 08:47:47|
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