写真でつづる流山の道 流山発見;諏訪神社(6)

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

流山発見;諏訪神社(6)

「諏訪神社」散策6回目です。由緒あるものを見ていきます。

2013_0630_095758-DSC01994.jpg「源義家鞍挂之枩」(石碑)
【石碑では「挂」,解説板では「掛」となっている。また『千年の森宣言』解説板では「懸」としている。】
鞍掛之枩の碑に添えて
九百年前 源 義家が後三年の役を終えて 神恩報謝の為に 当神社に乗馬及び馬具を奉献した際に鞍を掛けた松は第一鳥居前を五十米程前方の豊四季字鞍 旧ライフ前の県道沿いにあった 古老の言によると 臥龍の形をした見事な巨松であった
明治初年の台風で古損した 字名の鞍掛はこの松に由来する
因にこの地の前の県道を境に北側は字名を姫宮というもと当社の摂社姫宮神社の境内であった 明治の中頃 神社は当境内にお遷しされた                平成五年記 社務所







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道問へば 大根曳いて 教へけり   蕪村
この句は 蕪村が この里近くで作ったと伝えられています
そしてこの句が神社に献額されています そうすると蕪村が初冬の頃 畑で大根ぬきをしているお百姓さんに「おすわさまはどちらですか」と問いかけたら その人はふりかえりながら「あちらですよ」と教えられた時の句とも考えられます





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2013_0919_083503-DSC02666.jpg「寿」の碑
由来
我ガ國芸術界ノ第一人者デアリマス長崎ノ平和像作者 文化勲章ニ輝ク北村西望先生ハ 当境内ノ源義家像ヤ狛犬ヲ制作セラレ 又百点ニ及ブ書ヤ絵ヲ 献納ナサイマシタ
其ノ中カラ「仁者寿」ノ「壽」ヲ巨石ニ刻ミ 崇敬者皆さまノ幸福ト長寿ヲ誠祷シマシタ
施工 真壁山尾 藤田石材 / 藤田 完・修司父子謹刻
平成十三年四月二十三日
宮司 九十叟(きゅうじゅうそう) 古谷金祐謹誌
禰宜               古谷和史謹書

【〝九十叟〟は〝九十歳〟と同じ。(読み方は‘きゅうじゅうそう’か‘きゅうじっそう’か)〝叟〟は〝翁,年寄,長老など老人を呼ぶ尊称〟の意。平成25年(2013)9月21日の「広報ながれやま」で『市内の最高齢者を市長がお祝い』の記事の中で101歳の古谷金祐さん(名誉宮司)が紹介された。】
※同じ「寿」の石碑が第一鳥居前にもある。


2013_0630_095049-DSC01982.jpg御神水讃歌
畏(かしこ)しや 諏訪大神朝には朝日直刺し 夕には夕日い照ふ 神なびと 底つ磐根に宮柱 太敷き立てて日のみかげ 天のみかげとかくりまし 遠つ祖先ゆ大みめぐみ たれ賜ひつゝ中今に神さび立てり 名くはしき御井の真清水 大神の賜ひし水と 諸人が 戴き奉りて 生命延ぶ 尊きろかも 神の真清水 これの水こそ 常にあらめ 御井の真清水







境内には〝道標〟があります。参道前の「諏訪道」にあったものを移し置いたものでしょうか。
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右 すは道    左 のだ道

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上の画像では・・・東 成田 諏訪 みち  /  安政六
下の画像では・・・南 ながれ山  西 はくちの渡 みち
と読めます。












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  1. 2013/10/02(水) 07:42:04|
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