写真でつづる流山の道 江戸川の渡し(追加)
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写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

江戸川の渡し(追加)

江戸川を渡る「渡し場」は,流山市域で8か所紹介しましたが,先日足を延ばして埼玉県側の江戸川土手を歩きました。吉川市と三郷市です。流山が江戸方面と接する場所を見ておこうと思ったからです。そこで出会った3つの渡し場跡を紹介します。吉川市には一つもありませんでした。
歩いたコースは,北の玉葉橋から埼玉県(吉川市)側に入り南へ向かいます。最後は流山市と松戸市が接する境界線(埼玉県側では三郷市)でUターンしました。土手だけで10km,なんだかんだで16km,電車も使って24,700歩ほどを歩きました。元気のいい時の歩幅を測ったら80㎝ほどでした。

玉葉橋からの江戸川の眺め。とうとうと流れる江戸川,海まで[から]35.5kmほどの地点になる。

2011_1027_134138-DSC04429 パノラマ写真江戸川

利根運河が江戸川に流入する地点。手前の茶色い橋は工事用のもので,クリーム色の橋が一般用の橋。ゴルフ練習場を撮ったように見えるが,その下を流れるのが利根運河なのだ!昔は船運で栄えたという。
2011_1027_135737-DSC04440 - コピー運河河口


2011_1027_150220-DSC04454前間の渡し
「前間(ぜんま)の渡し跡」
流山市側の「矢河原(やっから)の渡し跡」と対面する位置にある。

※標柱の解説文を以下に書き出す。

『江戸時代から、前間村・田中新田と加村(現流山市)の間を渡していた渡船場である。もとは、地元の人が利用する渡船場であったが、明治十一年(1878年)に加村の古坂喜左衛門らが新規渡船として、公の許可を得て営業を始めた。矢河原の渡し、加村の渡しとも呼ばれていた。』三郷市観光協会


ここで気が付いたのだが,標柱の解説文を読むとき,川の方を向くことになるのだが,流山市側では,解説を読むときは川を背にしなければならない。流山市側を歩きながら,江戸川と一緒に標柱を撮影したかったことが思い出された。三郷市側の方が利用者に親切だと思う。江戸川を見ながら解説を読む方が気持ちを入れやすい。



2011_1027_150300-DSC04456前間の渡し


2011_1027_151706-DSC04458丹後の渡し
「丹後の渡し跡」
『江戸時代から丹後村と対岸の流山村を結ぶ渡船場として、丹後村で運営していた。新撰組が流山に向かうのに利用したとも言われる。流山橋が昭和十年(1935年)に架橋されるに伴い、廃止された。』三郷市観光協会

※ここで言う〝流山橋〟とは,現在の流山橋ではなく,そこから上流[北]に橋脚だけ見える場所にあった橋を指すのだろう。

2011_1027_151721-DSC04460丹後の渡し

2011_1027_154406-DSC04468幸房の渡し
「幸房の渡し跡」
『江戸時代は地元の人々が利用する渡船場であった。明治十九年(1886年)に対岸の飛び地に村共有の渡船場開設が許可され、村民以外からは賃銭を徴収していた。岩野木の渡しとも呼ばれていた。』三郷市観光協会

海から25.25km地点。これより南へ4.5km行くと「樋ノ口の渡し跡」がある(という)。背後はつくばエクスプレス線[TX]の鉄橋。

2011_1027_154430-DSC04470幸房の渡し

この写真の中央をよく見てください。中央の白い建物の手前に,黒っぽい四角な物が立っていますね。これは流山市と松戸市との境をなす標柱です。このブログの「市境」で紹介したものです。流山市側の「幸房の渡し跡」はここより1kmほど上流になります。1kmの間を川を上下して渡っていたのでしょうか?考えにくいですね・・・
2011_1027_154808-DSC04472幸房の渡し
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  1. 2011/11/01(火) 09:27:38|
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