写真でつづる流山の道 「流山道」探訪

写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

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「流山道」探訪

流山道」についての説明板が,下の地図のマーク地点にあります。東京都足立区西保木間1丁目付近を示しています。淵江小学校と氷川神社が目印です。ここから流山までつながっていたことに驚きました。古道の一部を歩いてみようと思い,出かけました。http://blog.goo.ne.jp/sanpo63/e/で知りました,ありがとうございます。



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竹ノ塚駅から10分ほど,足立区立淵江小学校(左手)の南西角から流山道に入りました。
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2011_1107_095440-DSC04609.jpg解説板には次のように書かれている。
流山道
本説明板の前を東西に走る小道は、江戸の昔から流山道と呼ばれた古道である。保木間で日光街道からわかれ、南花畑、内匠橋、六木を経て流山に向かう。この道に接する宝積院と氷川神社は戦国時代の武士・千葉氏の陣屋があったと伝えられることから、道の成立は戦国時代以前にさかのぼると考えられる。
 この道を東進すると花畑大鷲神社や成田山と結んでおり、西に進むと西新井大師に通じる信仰の道でもある。ここから大師道・成田道という別称もある。なお沿道には寺院・神社や旧村地帯が分布し、保木間の旧家の多くもこの道に沿って建っており、地域の歴史を今に伝える。
平成十年九月            東京都足立区教育委員会




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解説板には以下のように記されている。

保木間氷川神社(ほきまひかわじんじゃ)
 祭神(さいじん)として、須佐之男命(すさのおのみこと)・豊受姫命(とようけひめのみこと)・菅原道真(すがわらみちざね)を祀る。
 当社の創建は明らかではないが、中世この地は関東の豪族千葉氏の陣屋跡と伝えられ妙見社(みょうけんしゃ)が祀られ、のち天神を祀る菅原神社となった。それ故に隣接の天神社別当寺宝積院(ほうしゃくいん)は、その山号を北斗山(ほくとさん)と称するという。
 江戸時代、保(ほ)木間(きま)・竹(たけの)塚(づか)・伊興(いこう)三村の鎮守は、もと伊興氷川社で、明治の初め当社もそこに合祀(ごうし)されたが、明治五年分離して、社名を氷川神社と改め保木間村の鎮守となった。
この地域一帯は、伊興地区についで早く開け、平安末期から鎌倉期にかけて発展した。保木間の地名は、平安期末に西国の武士が木の柵を設け、田畑を起こしたことによると伝えている。またこの地域では、古墳時代の土師器や鎌倉期以降の板碑などが多く出土している。
平成元年一月             東京都足立区教育委員会




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解説板には教えられる。ここでこういうことがあったのか!と単純に驚いた。

田中正造と保木間の誓い
 1890年代に発生した足尾銅山鉱毒事件は近代史上で特筆される公害事件である。1898年(明治31)九月群馬県邑楽郡・栃木県安蘇郡等の被害住民3000人が鉱毒被害を訴えるため上京した。被害問題に取り組んだ田中正造(当時衆議院議員)は、同年9月28日、上京する被害住民とここ保木間氷川神社で出会い、鉱毒問題の解決に努力するという演説を行い、被害住民を帰郷に導いた。この時被害住民たちは涙して演説を聞いたといい、これを保木間の誓いという。
 当時東京府南足立郡渕江村だったこの地では、村長坂田正助と村会議員が、上京途中憲兵や騎馬警官による阻止・排除を受けた被害住民に、炊き出しを行って出迎え、被害住民と共に正造の演説を聞いた(「田中正造日記」)。こうした被害住民への支援は渕江村の人々と被害住民の農民同士の連帯感によって支えられていたという。
平成十年九月      東京都足立区教育委員会




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2011_1107_100426-DSC04627.jpg氷川神社と寶積院とが隣り合っている。
石碑があるが,残念ながら読めない・・・理解するための知識がないのだ。



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『1300年代の大乗院付近 「大門」名の由来』という解説板がある。歴史のある地域なのだなと思う。(解説文は割愛しました)











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流山道。昔を想像するのは難しい。













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ここで日光街道と交わる。ここから東への道は確認できていない。今回はTXの八潮駅目指して歩いた。












綾瀬川にかかる内匠橋周辺の風景。昔は流山との間を行き来する人にとって大事な橋だったのだろう。
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上耕地橋・・・流山にも〝上耕地〟という地名がある。〝〇〇新田〟と同じように土地の利用が名称になったのだろうか。
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東京から埼玉に入って,この後はTXの八潮駅から帰途についた。
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  1. 2011/11/27(日) 08:24:05|
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