写真でつづる流山の道 流山新100か所めぐり(1)利根運河
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写真でつづる流山の道

流山市内の道をすべて歩きました。道すがら目にしたものを写真で紹介します。流山市限定ですが、他の場所に共通するテーマもあるでしょう。あなたの地元を歩いてみませんか。

流山新100か所めぐり(1)利根運河

流山市内の道をすべて歩いて目に映ったものを,私なりに分類して紹介してきました。‘こだわり’や‘驚き’をサラリと記したつもりです。まだ未公開画像は多数あります。今後また新たな発想が浮かんだら紹介します。
ということで,今日からは『流山新100か所めぐり』というテーマでブログを続けます。流山市では市内にある文化遺産・神社仏閣・歴史文化に関わる名所旧跡を100か所選定しています。市民のアンケート調査などによって平成9年に再編集したものを市のホームページで見ることができます(http://www.city.nagareyama.chiba.jp/section/shouseikankou/100meguri/100.html)。当ブログでは『写真でつづる』ということで,詳しい解説はHPに譲って,現地の雰囲気をお伝えしようと思います。なお,『100か所』に含まれるもののなかで『流山観光スポットTOP30』も選定されています。これは流山市観光協会が市民投票によって平成13年に次いで平成22年に再選定したものです。当ブログでは,各名称の番号は『100か所』の順番,名称の後に『TOP30』の番号も併せて記しました。ぜひ流山を理解するために100か所を踏破しましょう。
市北部から南部へと順番に進んでいきます。1回に1か所ずつ紹介します。100か所ですが1か所を数回に分けて紹介することもありますので,100日以上かかります。どうかお付き合いのほどお願いします。

1.利根運河 《TOP30-1》



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「利根運河の運河水辺公園」のほぼ全景です。左の写真は運河橋から見たところ,右の写真では左の写真を撮った橋を写しました。夏でしたので少しモヤがかかっているようです。次回はきれいな空気の中で撮ります。

2010_0727_095507-DSC01529.jpg 2010_0518_085905-DSC01022.jpg

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私のお気に入りの1枚です。コサギが飛び立つ一瞬です。小型デジカメでもここまで撮れるのかと,われながら驚きました。水面に映る三角屋根の塔が,水位観測塔ですので,ここが間違いなく運河だということがわかります。















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『100ヶ所めぐり⑳利根運河
利根川と江戸川を結ぶ全長約8.5kmの運河である。オランダ人ムルデルの設計により明治21年着工し、同23年完成した。この運河の完成により船運業界は黄金時代を迎えたが鉄道の発達により、その使命を終わった。』

※左右端が波型に切られた板は旧型で,もう1か所ある。ほとんどの所は四角いアルミ板になっている。
※番号が⑳となっているが,これは古い掲示様式。現在では①に相当する。







DSC00063運河碑
解説板には以下のように書かれている。
『利根運河のいわれ
徳川幕府が江戸に入府して最初に手掛けた事業は利根川、江戸川の大改修であった。この二つの河川は、関宿を分水点として銚子と江戸へ流れを変えたので航路として重視された。この川筋の町々は、物資の集散地として一躍脚光をあびるようになった。江戸末期になると利根川中流の野田-関宿間に中洲ができたため、柏から流山の間は陸送となり、ここに運河を開さくする気運が芽生えていった。
明治になると、運河開削の運動は具体化し茨城県会の廣瀬誠一郎と茨城県令(知事)人見寧の二人が中心となって活躍した。時の政府や千葉県庁にも強い要請が行われ、政府はオランダ人技師ムルデルを派遣して運河の設計にあたらせた。明治二十一年五月、事業は株式を公募して民間事業の方法で工事が始まった。総工費五十七万円、実に二百二十万人の労働者を動員して、明治二十三年六月全工区が竣工した。ムルデルは西深井の民家を宿舎として全工事を監督したという。総延長八キロメートル余、川底幅十八メートル平均水深は、一・六メートルであった。
利根運河が完成すると水運は益々活発になり、ピークには、年間三万七千余隻一日平均百三隻もの船がここを利用した。しかし、大正の頃になると運輸の花形は貨車輸送となり栄華をきわめた利根運河は、時の流れにとり残されていった。昭和十六年の大洪水によって運河は国に買収され、治水及び利水上重要な役割を果たしながら、四季折々に緑豊かで静かなたたずまいを見せている。その栄光の歴史は明治四十一年河口に建てられた一基の石碑が教えてくれた。利根運河のあゆみを振返り、後世にその“あかし”を伝える為この石碑は昭和五十六年三月、運河橋のたもとに移された。
その後、利根運河が大公園として見直され風光明媚な公園として整備されたいま、その景勝を楽しむと共に、運河の歴史をより多くの人に知ってもらうため、石碑をこの地に移設し、解説板を設置した。
昭和六十二年三月吉日
建設省江戸川工事々務所長 小宮山克治
流山市長         秋元大吉郎 』


左側の石碑は読めませんでした。

2011_0518_090812-DSC02799ムルデル碑
ムルデルの碑
『A.T.L.ローウェンホルスト・ムルデル(1847-1901)は、オランダのライデンに生れた。土木技師となり、来日したのは明治12年(1879)ムルデルが31歳の時であった。
それからおよそ11年間、ムルデルは日本政府のお雇い外国人技師として利根川、江戸川、鬼怒川の改修や新潟港、三角港の建設計画等にあたった。明治23年(1890)に完成した利根運河は、わが国土木史上、屈指の大事業で、ムルデルが日本で手がけた最後の仕事であった。          A.T.L. Rouwenhorst Mulder』

側面には,『この碑は昭和五十九年(一九八四)四月八日、流山市民が中心となって結成したムルデル顕彰碑建立実行委員会によって建立され、流山市に寄贈されたものである。 一九八五年四月二十八日』
とある。

2011_0728_134743-DSC03815ムルデル碑

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  1. 2011/12/01(木) 13:43:13|
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